ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の祭司に守られた日本

 

 「千萬の民の力をあつめなば いかなるわざもならむとぞ思ふ」

 これは、明治天皇の御製です。

 

 千万人の日本国民の祈り(意識)の力をひとつにするならば、どんなことでも成るだろうと思う、という明治天皇の、国民への信頼のような内容です。

 

 天皇は、国民を思い、国民は天皇を慕う。これが、日本国の姿でした。しかし、天皇を中心に日本国民の結束が固いことを恐れた外国の霊(GHQ)は、国民の心から次第に天皇の居場所をなくして行きました。

 

 しかし、感謝なことに天皇の国民を祝福し保護する祈りと祭祀は続けられました。日本国民は、日本国民のために祈る祭司によって守られて来ました。日本国は神に仕える人々(神道)によって、消滅することなく保たれて来ました。

 

 いま、八咫がらすと言われる人が表に出て来ました。都市伝説と思われていたのが、実在していたのです。

 天皇、宮家、皇室のために祈り、陰で支えて来た一族です。約二千六百年の間、継承して来た一族です。

 

 無宗教と思われて来た日本人ですが、自然の中に神の働きを認め、地域ごとに氏神があり、日本列島を守る神々が昔から祀られています。

 そして、神々に仕え人々に仕える、神と人との仲介者のような、宮司や巫女がおり、神道の教えが日本人の心の土台にありました。

 

 明治天皇は、聖書に精通しておられたようです。神に仕える天皇ですから、聖書の神がまことの神であることはよく理解されるのでしょう。

 

 「よきをとり あしきをすてて外國におとらぬくにとなすよしもがな」

 日本人の精神を持ったまま、西洋の良い文化を受け入れ、日本の精神を崩してまでは影響されず、西洋に見劣りすることのない日本国とする、うまい方法があればいいのになあ。

 

 明治天皇は、国の栄えを祈っておられました。天皇家が栄えることではなく、天皇家を中心とする日本国に置かれた日本の国民の繁栄と祝福を祈っておられました。

 天皇にとって、日本国民はからだの一部だったのでしょう。日本国民あっての日本国であり、日本国民あっての天皇家なのです。

 

 「いつわらぬ 神のこころを うつせみの世の人みなに うつしてしがな」

 偽りのない神の御心を、この現実の世の人みなに映したいものだ。

 

 神に仕える天皇は、霊によって神の存在を知っておられます。神が霊であることも、変わらぬ方であることも、知っておられます。

 第二次世界大戦で敗戦したから、天皇は国民の象徴となったのではありません。天皇ご自身は、神に仕えておられたのです。すなわち、ご自分を神と等しい者とは考えてはおられなかったということです。

 

 日本国民ひとりひとりに、この霊なる生ける神の御心が映し出されるならば、どんなに安寧な世となることであろうか。

 神を知っておられる明治天皇の思いです。

 

 政治というものがなかった昔の日本人(縄文時代までさかのぼるのでしょうか)は、自然から教えられ、自然と調和し、神の御心のうちにいたのでしょう。

 

 日月神示には、外国の霊によって日本人の精神がこんにゃくのようにされてしまうというような記述もあるようです。

 まさに、GHQの政策によって、教科書は塗りつぶされ、日本国が教えて来た教育は根本から間違っていた、日本国は日本国民に偽りを教えていた、と日本人に洗脳しました。

 

 日本人の誇りは粉々にされ、信頼すべき日本国民の倫理さえ、日本人の心から奪い取りました。

 祭司は健在ですが、神社は外国の息のかかった神社庁にまとめられました。

 

 しかし、神社庁に加わらなかった古神道が残っていました。

 神は、いつも少数の残りのものを隠され保っておられます。その古神道の人々が今、表に現われています。

 彼らは、世がどのようになろうとも、日本列島の中で、神事を守り続けて来られました。そして、時至って、今、世に現われているのです。

 

 日本人が落胆しても、苦難の中を通り過ぎても、彼らは、変わらず、神の働きを勤しんで来られました。

 日本国には、代々続く天皇家があり、代々続く古神道の人々が残されていて、神の祭司の務めは途切れることがありませんでした。

 

 この日本から、世界の救世主が現われると、世界中の予言者やスピリチュアルな人やシャーマンや占い師などが言っています。

 

 神は、この世の終わりに救世主(神の御子イエス・キリストの心を持ち、神の子羊の福音を伝える人々)を起こす国として、日本列島を選び、自然と調和し神の愛を知る縄文人を置かれたように思います。

 そこに、ユダヤ人を渡来させて、神に仕える祭司の国民(ユダヤ民族)に、生ける神と調和したアブラハムの信仰(縄文人の信仰)を加え、日本人としての歩みをさせられたのではないかと思います。

 

 それゆえ、日本人には神の使命があるのでしょう。

 日本列島に計画があったように、日本人に、世の終わりの働きを用意しておられると思います。

 神の祭司に守られた日本で、まことの神の祭司(神の子羊の血による贖いと神の御霊による救いの福音を伝え、世界に御救いの福音を広める聖霊の器)を立てられることは、日本列島の島々を大海の中に造られた時から、定まっていたのだと思います。

 

 神の御子イエス・キリストがイスラエルのベツレヘムに生まれる以前から、日本列島は、神の使命を受けて存在していたのだと思います。

 

 かつて、天皇への忠誠によって一つとなっていた日本国民は、まことの生ける神を知り、まことの神への忠誠によって、とこしえの神の国(真理の御霊によって永遠のいのちを得る神の子どもたちの国)のために、立ち上がるのでしょう。