ノアの時代の洪水によって、暴虐に満ちた世を一掃された神。
神は、神を恐れず、暴虐に満ちた悪い世から、神を恐れるノアとノアの家族を救い出し、リセットされた世界にノアとノアの家族を置き、再び人類の営みをスタートされました。
ノア夫妻には三人の息子がおり、それぞれに妻がいました。
大水で洗い、新しくされた世界に、神は、ノアの息子たちセム、ハム、ヤペテから多くの子孫を生み出して、全地をおおわれました。
有色人種アジア人の祖がセム、肌の黒いアフリカ人の祖がハム、肌の白い白人の祖がヤペテと言われています。
歴史は、セム、ハム、ヤペテの血を混合(混血)し、様々な人種を生み出して来ました。
ノアは、神を恐れる正しい人で、神の声を聞く耳のある人でした。
神はノアに、洪水によって世を滅ぼすことを語られ、また、ノアに箱舟を造ることを命じられました。
神のことばに従うノアとノアの家族は、神がこれから起こそうとされる御計画と、世を滅ぼす大洪水から救い出される神の道(箱舟)を神から示されたのです。
ノアとノアの家族は、神に命じられるまま、神の設計されたとおりの箱舟を造りました。神が設計された箱舟は、現在の造船界にて、最も高い安定性と強度を持つ、長さ、幅、高さの比率が黄金比と呼ばれるもので、タンカーなどの大型船の設計の形の船でした。神は、安全な船をノアに教え導かれたのですね。
父ノアは、箱舟から出て陸に上がると、悪い世を滅ぼす大水から救い出してくださった主のために祭壇を築き、祭壇の上で全焼の生贄をささげました。
全焼の生贄の香りは、神の怒りをなだめました。
神は、ノアと契約を結ばれました。
「わたし(世を滅ぼす権威を持つ全能の神、主)は、あなたがた(ノアとノアの子孫、すなわち、人類)と契約を立てる。すべて肉なるもの(死が定められている罪の中にあるもの)は、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」(創世記9:11)
神は、この契約が確かなものであるしるしとして、雲の中に虹を立てられました。虹が、神と地との間の契約のしるしとなるのです。
神は仰せられました。
「わたし(全地の神である主)が地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。
わたし(ノアを大洪水の滅びから救い出した神)は、あなたがた(人類)との間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約(大水で滅ぼすことはない)を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。(大水が降っても、ノアの時代のような世を滅ぼす大洪水とはならない。)
(神と地との間の契約のしるしである)虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」(創世記9:14-16)
神は謙遜なお方です。
契約のしるしの虹を見て、大水ですべてのものを滅ぼさないとノアに誓った契約を思い起こし、怒りを止めてくださると仰せられました。
神は、虹が雲の中に現われたときに、虹の契約の初めであるノアの時代に起こったこと(神の裁きによって大水で滅ぼされた世の罪)を思い起こすようにと、人類に命じられたのではありませんでした。
神は人類に、神に高ぶり暴虐に満ちた人類が大水(大洪水)によって滅ぼされたことを記憶するようにとは仰せられなかったのです。
土地の塵から造られた人のうちに、神のみことばに聞き従うことのできない肉の性質(罪の性質)、すなわち不従順を御覧になっておられた神は、人に命じることはされませんでした。
神の民イスラエルに遣わされた神のひとり子イエス・キリストも同様でした。
神から守るべき神の律法を与えられた選びの民、ご自分の民であるイスラエルの中に来られたのに、イエスは、ユダヤ人たちの中にも神への不従順を見られたのです。
「イエスは、ご自身を彼ら(神との契約を持つイスラエルの民ユダヤ人たち)にお任せにならなかった。なぜなら、イエスは(神とひとつではない)すべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるもの(神よりも自分を愛する思い)を知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。」(ヨハネ2:24,25)
神は、御自身の真実により頼んで、契約を結ばれたのです。人には何の真実もありません。風に揺れる葦のようであり、水面に浮かぶ落ち葉のように、当てのない、はかないものなのです。
人々の心は虹を見たとき、喜びに溢れます。人の魂は、虹の契約を記憶しているのです。ノアにそうであったように、神は必ず、滅びの呪いから救い出す御救いの道を用意されるということを感じて、希望を持つのです。
大洪水の滅びから救い出されたノアは、言いました。
「ほめたたえよ。セムの神、主を。」(創世記9:26)
ノアは、神を恐れる正しい人セムを見て、自分を導かれた神を「セムの神」と言い表わしたのです。ノアの神は、神を恐れるノアの信仰を受け継ぐセムの神となられました。
セムの十代目にアブラムが生まれました。彼は、神と契約を結んだ神の民イスラエルの父祖アブラハムです。
神を恐れる正しい人ノアの信仰は、神を恐れる正しい子セムに受け継がれ、神を恐れる正しい子孫アブラハムに継承されたのです。
そして、神は、アブラハムと契約を結ばれました。契約のしるしは、割礼です。割礼を受けた後の契約のしるしのあるアブラハムから生まれた最初の子、妻サラのひとり子イサクは、アブラハムの契約を相続する子として、神がアブラハムに与えらたアブラハムの跡取りです。
アブラハムの契約は、サラの子イサクへ、そして、イサクの子ヤコブへと受け継がれ、ヤコブの十二人の息子たち、ユダヤ民族が相続しました。
神は、アブラハムの契約を相続したユダヤ民族と、神の祭司の国民としての契約を結ばれました。契約のしるしは、神の律法(モーセの律法)です。ユダヤ民族は、神がヤコブにお与えになった「イスラエル」の名前を名乗り、神の法「神の律法」を守り神に聞き従う神の民とされたのです。
神は、イスラエルを「神の民(御自分の民)」と呼ばれ、御自身を「イスラエルの神」と名乗られました。
神は、このイスラエルから世界を救うキリスト(神のひとり子イエス・キリスト)を生み出されたのです。
イスラエル人たちは、自分たちのところにキリストが来られたのに、ナザレのイエスがキリストであることを信じることができませんでした。それで、神の御子イエス・キリストに聞き従うことがありませんでした。
神は、御自分の民の不信仰と不服従を怒り、イスラエル人の先祖の地(カナンの地)に建てられたイスラエル王国を敵の手によって滅ぼし、ユダヤ人たちを世界に離散させました。
神は、神のひとり子(神の子羊イエス・キリスト)に、主権と光栄と国をお与えになりました。神が造られた神の国民イスラエルは、神の御子イエス・キリストを王とする「とこしえのイスラエル王国」として完成されます。
神の命令「モーセのような、神が遣わされるもうひとりの預言者に聞き従わなければならない。」に背いたユダヤ人たちの罪は、神が用意された御救い(キリスト【救世主】の福音)を異邦人へと向け、御救いは全世界に及びました。
契約のなかった無割礼の異邦人たちは、キリストの福音を聞くと、罪を悔い改めて、神に立ち返り、神を崇める民となりました。
「とこしえのイスラエル王国」の王イエス・キリストによる御救いの契約は、肉の割礼を受けることでもなく、また、モーセの律法の奴隷になることでもありません。
キリストの福音(イエスのことば)を信じて、神の子羊イエスの贖いの血を受け、罪を悔い改めて、真理の御霊を受け取ることです。真理の御霊を受けるならば、御霊が心に割礼を施し、火のバプテスマ(滅びる肉の性質を殺して生かす御霊の新しい性質に造り変えられる、聖霊のきよめのわざ)によって新しい創造が施され、神の子どもとされるのです。
神の御子イエス・キリストが世に来られたのは、世の罪を取り除き、神を恐れる正しい人に真理の御霊(永遠のいのち)を得させ、生かす御霊によって神の子どもたちを新しく創造するためでした。
キリストを主とする人々は、神の御救いの御計画の中に入った者です。
大洪水で世を滅ぼされた主は、神を恐れる正しい人ノアを世の滅びの計画から救い出されました。
神は、終わりの日に、火で滅ぼすことを定めておられます。
火で滅ぼすことを定められた主は、神を恐れる正しい人を世の滅びの計画から救い出すために、「御霊の信仰」を与えられます。真理の御霊を注がれるのです。
神は契約に忠実なお方です。たとい、人が契約を守らなくても、神はその契約を放棄されることはありません。
契約の民を決して捨てられません。神は、契約を忘れないのです。
神は、契約の民ユダヤ人に仰せられます。
「あなたの神、主は、憐れみ深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの先祖たちに誓った契約を忘れない。」(申命記4:31)
また、私たちの救いのために、ひとり子を傷つけられた神は仰せられます。
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたし(主)は(主が生んだ)あなたを忘れない。
見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。(死から甦り復活したイエス・キリストの手のひらにある十字架の傷は、あなたを救うためではないか。)」(イザヤ49:15,16)
神は、とこしえのイスラエル王国の王イエス・キリストのために、七つの御霊の教会を完成させられます。キリストとともに、天の御国を相続する神の子どもたちです。
その中には、宗教に汚されたことのない信仰の人々も、ユダヤ教の人々も、キリスト教の人々も、民俗信仰を保ってきた生ける神に忠実な人々も、無宗教の人々も、ユダヤ人も異邦人も、神道の人々も、仏教の人々もいます。真理の御霊を受けて、新しい人に変えられた人々です。
七つの御霊の教会のうち、一つの宗教によってかたち造られる御霊の教会が、二つあります。
それは、神との契約を持つ、二つの群れです。「ユダヤ教を信じる人々」の御霊の教会と、「キリスト教を信じる人々」の御霊の教会です。
異邦人の時に完成する、神に忠実なキリスト教徒の殉教者たちの教会【サルデス】と、ユダヤ人の時に完成する、三年半の間荒野でかくまい養われるユダヤ教徒の教会【ペルガモ】です。
神は、契約の民を忘れることはありません。
新しい契約(新約聖書)の民(キリスト者)は、死に至るまで忠実なその信仰により、ひとつの御霊の教会の群れとなります。
古い契約(旧約聖書)の民(忠実なユダヤ教徒)は、荒野で養われた先祖と同様の体験を通して、キリスト(十字架の主イエス)を悟り、不信仰を悔い改めて神に立ち返り、三年半の終わりに、主に向かって「主よ。来てください。」と叫ぶのです。
キリストは、彼らの叫びに答えて、彼らを救うために、天の軍勢とともに天から来られます。
律法の下にあった彼らは、真理を悟り、ひとつの御霊の教会の群れとなるのです。
神道や仏教、そのほかの宗教からも救いが起こります(真理の御霊を受ける人々が起こります)が、神道の人々だけの御霊の教会や、仏教の人々だけが集められる御霊の教会というものはありません。
神は、契約の民を忘れることがないのです。契約の民には、旧約の民、新約の民、それぞれに一つずつ御霊の教会を用意しておられます。