天は全き光であった。すべてのものの存在の目的であり理由であられる神が座し、そのかたわらには神のひとり子がおり、神の聖霊が満ち満ちていた。
御使いたちは、統制をもって神に仕えていた。すべてのものに調和があった。愛と喜びに満ち、平和と光が溢れていた。
神は、ひとり子に主権を与えたいと願われた。一糸乱れのない光の世界に微かな迷いが生じた。それは、神ではなく、御使いの中から出たのであった。
天使長ルシファーが、ひとり子の主権に不満を持ったのだ。天使長の迷いは、ルシファーに統率される天使たちにも影響を与えた。ルシファーに芽生えた暗い心が天使たちの目の光をさえぎった。
光の神を仰いでいた天使たちのうちに、ルシファーにある暗さに目を向ける者たちが現われた。暗さはルシファーから天使へ、天使から天使へと伝染した。
神に忠告されると、天使長は神を憎んだ。天使長はやがて、神のひとり子への敵対心によって支配され、神への反逆へと進んだ。
天使長の背きの罪は実を結んだ。天使長のもとにいた天使たちの心もルシファーの暗さと結びついた。彼らは、神に反逆する群れと化していた。
天は、神のひとり子の存在をどう捉えるかによって、分裂した。
天は分かれた。神は、ひとり子に敵対する天使たちを天から追放した。
神の主権とひとり子への計画に反対しない天使たちは、それまでどおり、神に仕えた。神のひとり子の主権を憎み、神に反逆する天使たちは、天から追放され、闇に落ちた。
こうして、天の御使いたちは、光の天使と闇の堕天使とに分かれた。光の天使は神に仕える天の存在である。闇の堕天使たちは神に敵対する道を行き、天から堕ちた。
闇では、神のひとり子を憎む堕天使長ルシファー(悪魔)が主権を持ち、悪霊どもは悪魔の主権に仕えた。
悪魔の主権に従う気のない堕天使たちのために、神は、闇に天体を造られた。堕天使たちは、その天体の星々を住みかとした。
彼らの心もまた、神の主権の下にはなく、神のひとり子の主権を望まなかった。
天は、二つに分かれた。初めからあった天を「第三の天」と呼び、闇に造った仮の天を「第二の天」とした。
「第三の天」の主権者は神。「第二の天」の主権者は悪魔。「第三の天」は全き光。「第二の天」は漆黒の闇。
神は、闇の中に銀河を造り、新しい創造の準備をされた。神は、神のひとり子のために、人を造られた。人は、神のひとり子のために造られた。
漆黒の闇に、新しい創造の星、地球を造られた。太陽と月と星々を天に持ち、水から生んだ地には海と陸とがあり、生き物やいのちを宿す草木があった。
神は、神のひとり子の主権を確かなものとするために、新しい創造をはじめられた。
悪魔は来て、神がひとり子のために創造された「人」を騙して、神に逆らわせ、悪魔と同様に、神から追放されるものとした。神のひとり子(神のことば)とひとつであった人は、ひとり子を憎む悪魔の言葉と結びつき、悪魔の支配下にはいった。
人は全き光の覆いを失い、闇の存在の手に落ちた。
地球には、人が増え広がり、人類は闇の支配者悪魔の支配の下で罪ある者としていのちを繋いだ。
人は、悪魔の支配下にあるものの悪魔の子ではなかった。悪霊の性質に支配されているわけではない。
しかし、人の中にも、神を恐れる生き方は格好悪い、悪魔とともに好き勝手に生きる生き方が格好良いと思う者たちが現われた。
人の中に、悪霊を受けて悪魔の子となる者が現われ、また、悪霊どもの力を借りて覇者となり、世を渡り歩く者たちも起こった。
人の世界は、清濁が入り混じっていた。
すべての主権を持つのは、神おひとりである。悪が満ちれば、地を滅ぼされる。しかし、神を恐れる正しい人を悪人とともに滅ぼすことはされない。
神は、神を恐れる正しい人を見いだされた。アブラハムと契約を結び、仮の世から、まことの世で生きる人々を捜し出して救い出すことを約束された。
その救いをもたらすキリスト(救世主」を、神御自身がアブラハムの子孫に遣わすと約束された。
救世主は、肉体を持つ「人の子」として来られる。アブラハムの子孫ユダヤ民族の処女から生まれる。「インマヌエル(神は私たちとともにおられる)」と呼ばれる、神のひとり子イエスである。
神は、預言者たちを通して、アブラハムの子孫ユダヤ人に備えをさせられた。
バビロン捕囚から帰還した南ユダ王国(ユダヤ十二部族のうちの、王家ユダ族ともと王家のベニヤミン族)に、神は、ひとり子を遣わされた。
預言者イザヤの預言が、人の目に見えるかたちで実現した。
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
(神の)主権はその(男の子〈イエス〉の)肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。
その主権(神の主権)は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、(父なる神から王権を与えられた)その王国を治め、裁きと正義によってこれ(主権と光栄)を堅く立て、これを支える。
今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(イザヤ9:6,7)
神がダビデ王の子孫ヨセフの許嫁である処女マリアの胎に神のひとり子をかたち造られたときから、神のひとり子イエスの主権は始まっていました。神は主権をイエスの肩に置いておられたのです。
「わたし(神)はまた、ダビデの家の鍵(王の権威)を彼(神のひとり子イエス)の肩に置く。彼(イエス・キリスト)が開くと、閉じる者はなく、彼(神の子羊イエス)が閉じると、開く者はない。」(イザヤ22:22)
神は、永遠のいのちを得るとこしえの国にはいる者の前で、その扉を開くのも閉じるのも神の御子イエス・キリストの肩に置かれた「王の権威」によるものであることを決めておられる。
「闇の中を歩んでいた民(イスラエル)は、大きな光を見た。
死の陰の地に住んでいた者(異邦人)たちの上に光が照った。」(イザヤ9:2)
イエス・キリストの福音は、闇の世を歩く者たちの足のともしびとなった。
キリストの福音には、いのちがあります。死んで滅ぶこの世の摂理を覆します。
死から甦らせて永遠のいのちを得させる、聖霊の力があるのです。
「暗闇と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」(ルカ1:79)
平和は天からやって来ました。神との和解をもってやって来ました。
彼は、悪魔が妬み、悪魔が敵対する神のひとり子です。
地は二つに分かれます。
闇の支配者悪魔の支配下にあって、生まれつきのままの生き方をする人々は、悪魔と同様に、神のひとり子の支配を憎みます。
死の陰で光を求める人々は、神が遣わされたキリスト【救世主】の名を呼び、神との和解の道を選びます。
彼らは、罪を贖い、永遠のいのちを得させてくださるキリスト、キリストがお与えになる真理の御霊を喜んで迎え、神のひとり子の主権をほめたたえます。
かつて、天では、神のひとり子の主権をどう捉えるかによって、光の子と闇の子に分かれました。
神は、神の子羊イエスが罪の贖いの血を携えて天に帰ると、神と人との和解を受け入れて、神の子羊イエスに主権と光栄と国とを与え、キリストの権威を授けられました。
神は、主権を、神のひとり子イエス・キリストのものとされたのです。キリストは、イエスを主と告白する人々、すなわち、神のひとり子の主権にへりくだり、御名をたたえる人々に、「真理の御霊」を授けられます。
地は神のひとり子の御名によって、二つに分かれます。
神は、神のひとり子の主権の下にはいる者を、光の子とし、神の子羊イエス・キリストとともに天の御国の相続人とされます。
また、神は、神のひとり子の主権を憎む者たちを、闇の子とし、悪魔に用意された火の池に投げ込んで、悪魔と同じ裁きを下されます。
「高い所(天)に上られたとき、彼(神のひとり子イエス・キリスト)は多くの捕虜(悪魔から勝ち取った多くの魂)を引き連れ、人々に賜物(真理の御霊)を分け与えられた。」(エペソ4:8)
やがて、仮の天(第二の天)は滅ぼされ、天は一つ(全き光)となります。
そのところに、とこしえの神の御国が建ちます。
光と闇がはっきりと分けられると、全き光に新しい天と新しい地が現われ、贖われ神のひとり子の主権の下にはいった人々の住まいとなります。そして、闇は永遠の火の池の中に投げ入れられるのです。