ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

真理が宿る

 

 「私(ヨハネ)はあなたがたを本当に愛しています。私だけでなく、真理を知っている人々がみな、そうです。

 このこと(私たちのうちにあるあなたがたへの愛)は、私たちのうちに宿る真理によることです。そして真理はいつまでも(御霊によって生まれ新生した)私たちとともにあります。

 真理(生かす真理の御霊)と愛(私たちの罪の贖いのために血を流されたキリストの愛)のうちに、御父と御父の御子イエス・キリスト(すなわち、天地万物と私たちを造られた創造主)から来る恵み(生かす御霊)と憐れみ(神の子羊イエス・キリストが流された血による罪の赦し)と平安(神との和解)は、(真理の御霊を宿す)私たちとともにあります。」」(ヨハネ第二1,2)

 

 真理を知る者は、キリストにある自由を得た者です。

 キリストにある自由とは、キリストの流された贖いの血によって罪が赦された喜びを味わい、もはや、罪のうちに留まらないことです。怒りも妬みも憎しみも手放しました。痛みも悲しみも苦みも、もはや、罪が飲み込みはしません。襲ってきても、真理によって退ける勇気を得たからです。真理とは、キリストが授けてくださる生かす御霊です。

 

 私たちのうちには、生かす御霊がおられます。ヨハネは、生かす御霊のことを「真理」と呼びます。真理の御霊ではなく、真理と呼びました。

 私たちのうちに、「真理」が宿り、真理はいつまでも私たちとともにある、と言います。

 

 生かす御霊を宿す者は、真理を宿しているのです。正しい道がわからず右往左往し、手探りで、確信が持てないような弱々しい私たちのうちに、実は、真理があると言うのです。

 

 これから、多くの人に真理の御霊が注がれる時が訪れると思われます。キリスト教会の枠を越え、神道のうちにも、仏教のうちにも、また、救いを求める人々のうちに、真理の御霊が注がれるのです。

 

 真理の御霊を受けると、真理が明らかになります。

 仏教の中からイスラエルのメシアが起こり、神道の中からアロンのメシアが起こるとするならば、彼らは、真理の御霊によって、真理を得るのです。

 真理は知識ではありません。思考や知恵でもありません。真理は人のうちに宿るもののようです。

 

 永遠のいのちを得させる「真理」は、人のうちに宿る「生かす御霊」です。生かす御霊は、神格を持つ聖霊です。

 

 十字架で血を流し、神の子羊の血で失われた魂を買い戻され、死から甦られた神の子羊イエス・キリストは、天に上り、神から栄光と主権を受けられました。

 神の子羊イエスは、聖霊のバプテスマを授ける権威を持つキリストです。キリストが良いと思われる者(ご自分の歩まれたいのちの道に歩むにふさわしい弟子)それぞれに、聖霊を分け与えられます。真理の御霊を授けられるのです。

 

 へりくだった者、悲しむ者、柔和な者、義に飢え渇いている者、憐れみ深い者、心のきよい者、平和をつくる者、義のために迫害されている者らに、神の憐れみと恵みは注がれます。

 

 神道、仏教、キリスト教、そのほかの宗教や真理を求める人々、救いを求める人々に、真理の御霊が注がれるのでしょう。

 

 神道のままで救われるのではありません。仏教のままで救われるのではありません。キリスト教のままで救われるのではありません。

 救われるのは、真理の御霊を受けて、真理を知る人々です。

 

 真理の御霊を受けた人々がすべて救われるのではありません。人には、自由意思があります。

 真理の御霊によって、真理を悟ります。真理は、永遠のいのちを知らせます。救いを知らせます。

 その真理が、彼らが今まで大事にして来た教えと異なっていたらどうでしょう。そのまま、受け入れることのできる者は多くはないのです。

 

 キリスト教の中でさえ、真理の御霊の教えをそのまま信じる人はどれほどいるでしょう。イエス・キリストを信じれば、罪は赦され、天国へ行くと信じている彼らは混乱します。

 彼らは、神が、十字架の救いのみわざを成し遂げて死から復活したイエス・キリストを天に上げた後に、もうひとりの助け主「真理の御霊」を遣わされていることを知らない人々です。

 

 イエス・キリストの御名を知らない人々(神道や仏教の人々)であるなら、なおさらです。

 真理の御霊を受けて、真理をそのまま受け入れる人々は恵まれた人々です。なぜなら、彼らは、真理を宿す者となるからです。

 

 真理とは、創造主が遣わされた救世主は、約二千年前に十字架につけられ贖いの血を流されたユダヤ人のイエス・キリストであり、この生贄の神の子羊(イエス・キリスト)の血で罪が贖われ、死と滅びから救い出されて、永遠のいのちを得る、という約束です。

 

 神の子羊イエスを信じる者は、創造主(父なる神)の遣わされたキリスト(救世主)につく者です。また、永遠に生きる神の子どもとされる者は、キリストのお授けになる生かす御霊(真理の御霊)を受けて、御霊によって新しく生まれ新生する者です。

 

 神は、キリストの血によって、神の子羊イエス・キリストを信じる者を義とされます。そして、信仰のある人に、真理の御霊を授けられます。真理の御霊を受ける人は、生かす御霊によって永遠のいのちを得るのです。

 永遠のいのちを得る人は、真理を宿す人です。

 

 真理の御霊は、キリストを信じる信仰と、天の御国にはいる希望と、神との交わり(神の愛)を与えてくださいます。

 真理を宿す者たちは、ひとつの御霊によって、キリストを信じる信仰と永遠の希望と愛の交わりを得るのです。それゆえ、真理を宿す人々は、互いに愛し合う愛を与えられているのです。

 

 「愛とは、御父の命令〈互いに愛し合いなさい。〉に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むということです。」(ヨハネ第二6)

 

 肉に死に、御霊によって生まれても、肉体の中にいる間は、肉の性質が、御霊に聞き従うことを阻みます。しかし、神の試み(火のバプテスマ)をくぐり、少しずつ変えられて行きます。

 

 私たちのうちに宿る真理が、私たちひとりひとりを新しい人に造り変え、愛に成長させてくださいます。

 

 真理は、罪を知らせ、罪を言い表わす人を悔い改めへと導き、頑なな心を柔らかくし、神の赦しを経験するほどに、神に愛されていることを悟らせてくださいます。

 神に愛されていることを知るほどに、信頼と喜びは増し加わり、ほかの人を赦すことを体験させてくださいます。

 

 真理は、人が自分の力で神の命令を守り愛する努力をすることを強要されません。人が、自分の中に愛がないことを認め、御霊にゆだねるならば、御霊が愛を築いてくださるのです。御霊にゆだね御霊に導かれるならば、御霊が働かれるのです。

 

 愛は、神から与えられました。私たちは、神に愛されたものなのです。

 神の愛に満たされ、喜びと感謝が増し加わるならば、そこに愛の泉が湧くでしょう。

 神に愛された人々のうちから、神に愛されていることを知っている人々のうちから、生ける水(生かす御霊のいのち)が流れて行くのです。