「わたし(天の神)はあなたがたのいのちの(救いの)ためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。(いのちにはいのちをもって償わなければならない。)また人にも、兄弟である者にも(神の子どもとされる神の家族の兄弟姉妹である者にも)、人のいのち(血)を要求する。」(レビ9:5)
血はいのちであると、主は仰せられます。
「すべての肉のいのちは、その血そのものである。」(レビ17:14)
神は、世の罪を取り除き、罪人のいのちを救うために、罪のない聖なる全き子羊の血を要求されました。
罪を完全に贖うことのできない獣の血ではありません。獣の血は罪を完全に贖うことのできないので、神の民イスラエルは罪のための生贄を毎年ささげていました。
イスラエルの神は、全焼の生贄と罪のための生贄とで満足されませんでした。
「神は御自分の御子を、罪の(生贄)ために、罪深い肉と同じような形で(御子に肉体を造り、人の子として)お遣わしになり、(神が遣わされた神の子羊イエスの)肉において(罪人たちの)罪を処罰されたのです。」(ローマ8:3)
「キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。
『あなた(イエスの父であられる天の神)は、生贄やささげ物を望まないで、わたし(世界を救うキリストとされた神の御子イエス)のために、からだ(処女から生まれる人の子として肉体)を造ってくださいました。
あなた(父なる神)は(雄牛や雄羊、雄やぎの)全焼の生贄と罪のための生贄とで満足されませんでした。
そこでわたし(神の御子イエス・キリスト)は言いました。
「さあ、わたし(神の御子)は(神の祭司の国民イスラエルのところに遣わされて人の子イエス・キリストとして)来ました。
聖書のある巻に、わたしについてしるされている(メシアについて預言されている)とおり、神よ、あなた(天地万物を創造された父なる神)の御心を行なうために(創造主であられ、世を裁かれる裁き主なる神の御心を成し遂げるために)。」(へブル10:5-7)
神は、肉体を得た御子によって、ただ一度の生贄で、罪の贖いを全うされます。
神の子羊イエス・キリストは、世の罪を取り除くために、神に遣わされた罪の贖いの子羊なのです。
「この御心(不完全な獣の生贄を廃止し、全き神の子羊【神のひとり子イエス・キリスト】の血によって、罪の贖いを全うするという、神の御心)に従って、イエス・キリストのからだ(肉体)が、ただ一度だけささげられたことにより、(神の御子イエス・キリストを信じる)私たちは(神の子羊イエスの血によって贖われ)聖なるものとされているのです。
すべての祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じ生贄を繰り返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。
しかし、(神の子羊)キリストは、罪のために一つの永遠の生贄をささげて後、神の右の座に着き、それからは、その敵(悪魔)がご自分の足台となるのを待っておられるのです。
キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。」(へブル10:10-14)
キリストの血によって罪が贖われたことを信じる私たちは、その信仰によって神に受け入れられ、神は私たちの罪を帳消しにしてくださいます。
罪が赦された私たちは、神のみもとに大胆に近づくことができます。
神は、罪人たちのいのちを、神の子羊の血の犠牲によって、死と滅びの悪魔の手から買い戻し、買い戻した魂を、イスラエルの王であられる神の子羊イエス・キリストにお与えになります。
聖なるキリストの血によって、神は、悔い改めてキリストにつく罪人たちのいのちを取り戻されます。また、子羊の血によって買い戻された魂に永遠のいのちを得させられます。
キリストの血は滅びゆく魂を救い、御霊によって、神の御前に正しく生きるいのちの道に導き、天の御国の法(御霊とともに生きるという律法)を全うされるのです。
「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
肉の思いは死であり、御霊による思いは、(永遠の)いのちと平安です。」(ローマ8:5,6)
肉の思いは聖なる神に対して反抗するものであり、神の律法(聖なる真理の御霊)に服従しません。服従できないのです。
「肉にある者(心がこの世のものに支配される者)は神を喜ばせることができません。」(ローマ8:8)
神は、神に忠実な神の子羊イエスの血によって、この世の罪を贖われました。
一粒の麦となったキリストの血は、神の子羊イエス・キリストのことばに聞き従う罪人たちのいのちを生かし、また、真理の御霊によって彼らを救うのです。
イエス・キリストを信じ、真理の御霊に導かれる人々は、神の子どもです。彼らは、とこしえに生きるキリストのからだです。
キリストのからだである彼らは、御霊によって新しく造り変えられた聖なる者です。
神は、世の終わりに罪人を救うために、キリストのからだである御霊に忠実な神の子どもたちの血を要求されます。
異邦人の時には、異邦人の救いのために、イエス・キリストの御霊を受け御霊の導きに忠実なユダヤ人ビリーバーとクリスチャンの殉教者たちの血が流されます。
ユダヤ人の時には、ユダヤ人と神の聖徒たちの救いのために、ふたりの証人が語る神のことばに忠実なメシアニック・ジューの殉教者たちの血が流されます。
神の子羊イエス・キリストは、父なる神の御思いに忠実に歩み、一粒の麦となって、多くの実(いのち)を結びました。
ユダヤ人ビリーバーとクリスチャンたちは、キリストの御霊に忠実に歩み、一粒の麦となって、多くの異邦人に御救いを得させます。
メシアニック・ジューたちは、ふたりの証人の語る神のことばに忠実に歩み、一粒の麦となって、多くのユダヤ人に御救いを得させます。
神は、きよい血(神に忠実な殉教者の血)によって、多くのいのちを救われます。
神の子羊イエスの足跡を辿り殉教の道を歩んだ、神の御子イエス・キリストをかしらとする彼ら殉教者たちは、子羊の婚宴に招かれる幸いなしもべです。
神のわざを成し遂げたふたりの証人が反キリストに殺され、三日半後に復活して昇天し、十四万四千人のユダヤ人(キリストの花嫁)が殉教し天の上ると、天では、子羊の婚宴が行われるでしょう。
キリスト教会のクリスチャンとコングリゲーションのユダヤ人ビリーバーの殉教者、携挙された人々、メシアニック・ジューの殉教者、ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人の殉教者は、旧約時代の預言者たちやかつての殉教者たちとともに子羊の婚宴を祝うことでしょう。
殉教ではない聖徒の死者たちは、キリストの再臨とともに復活して、再臨されたキリストと地上でお会いするのだと思います。