ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

偽りの平和

 

 これから世は悪い者が横行する無法の世界となります。

 このことは、聖書にしるされていることであり、神の御計画なのです。神のひとり子が治められる新しい神の世(千年王国、すなわち、仏教の言う三千世界であり、神道の言う弥勒の世)を迎える前の、世の大掃除なのです。

 

 なぜ神は、神に信頼する正しい人をあえて悪者によって苦しめられるのでしょうか。

 それは、神に救いを求める真実な心の人が明らかにされるためなのです。

 

 「主よ、主よ。」と言う者が、神の国に招かれるのではありません。神を恐れ、神の御子イエス・キリストに忠誠を誓う真実な信仰者たちを、神はひとり子のために集められるのです。

 

 神が用意しておられる新しい世界は、「イスラエルの王」として地上に来られる神の御子イエス・キリストの主権にへりくだり王を崇め敬って聞き従うしもべの国民によって治められるのです。

 

 彼らは、イスラエルの王、すなわち彼らの主であるキリストの御心に完全に聞き従います。

 世は、千年の間、争いがなくなります。「平和の王イエス・キリスト」が治められるからです。争いのない世界に武器は必要ありません。武器は農具に打ち直されます。

 

 神との契約を結んだ人々はみな、死者の中から甦って、聖書に約束されていた世界(千年王国)の実現を見、神のみことばの成就を目撃するでしょう。

 

 終わりのとき、イスラエルの君である大天使ミカエルが立ち上がり、いのちの書にしるされているユダヤ人、またキリストの民はすべて救われます。

 

 聖書に次のように書かれているからです。

 「その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。(神は、この世の地獄のアウシュビッツの苦難の方が、終わりの時の悲惨よりも軽いとされます。)しかし、その時、あなたの民で、あの書「いのちの書」にしるされている者はすべて救われる。

 地の塵の中に眠っている者(土に還った死者)のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに(神の子どもとされるために)、ある者はそしりと永遠の忌みに(裁きと永遠の死に定められるために)。」(ダニエル12:1,2)

 

 永遠のいのちを得る者だけが甦るのではないようです。神の約束を受けていた人々が甦ります。そこには、信仰の勝利者もおり、信仰の失格者もいます。

 

 このことは、次のことを示しています。

 神の約束を受けていたから救われるのではなく、救われる人は、神の約束に応答して、神の御思いの中を感謝しつつ歩んだ人、また神への信頼を失わなかった人、すなわち信仰によって神の約束の実現を信じ神のことばから外れなかった信仰の勝利者たちです。

 

 神に招かれ神と契約を結びながら、自分を信仰の杖として歩んだ人、心が神に定まっていない不安定な人、口でイエス・キリストを否定した人、御霊を侮る人、御霊に逆らう人は、信仰の失格者たちです。

 

 信仰の勝利者たちは、千年王国の都に自由に出入りする、とこしえのイスラエルの国民です。彼らは、イスラエルの王イエス・キリストとひとつ心となって世界を治めます。彼らは、キリストとともに世界の国々を治める王となるのです。

 

 信仰の失格者たちは、都にはいることが許されません。彼らの名は「いのちの書」から消されており、とこしえのイスラエルとは何の関わりも持たないからです。

 彼らは、神のみことばの成就を自分の目で見ながら、味わうことができないのです。彼らは、都の外にいて、泣いて歯ぎしりします。

 

 神は約束を守られます。神の預言はことごとく成就します。神のみことばは何一つ地に落ちることがありません。

 

 「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追って行く。

 雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。

 わたし(イスラエルの王が治める地)の聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。(強いものも弱いものも共にあって、互いに害を加えず、安心して暮らす平和な世界が実現します。そこには、涙も悲しみも嘆きもありません。)

 主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。(すべての人が、創造主であられる神を知っており、この主によってまことの平和が実現したことを知っているからです。)」(イザヤ11:6-9)

 

 神は、今の世が終わりを迎えると、次に素晴らしい世界を用意しておられます。

 神は、その世界を実現するために、地上を焼き払い、古いものを残されません。すべてを、一掃されるのです。

 

 異邦人の時が完成すると、神に忠実であった聖徒らはみな、世からいなくなります。主イエス・キリストの御名のゆえに殉教によって死者のうちに加えられた者もいれば、生きたまま天に引き上げられた者もいます。

 

 聖徒たちにとって生きづらい苦難の世となりますが、世の人々にとっては生きやすい世となると思われます。

 

 ナチスに支配された人々は歓喜に沸いていました。ヒットラーの演説に国民の希望と未来が輝いていたのです。彼らの心は、ヒットラーの存在に望みを置き、ナチスが良い世界を実現してくれるという夢があったのです。

 

 しかし、神を恐れる正しい心の人々は抵抗しました。神を恐れる正しい人にとっては、地獄の始まりでした。彼らにとって、ヒットラーは悪魔の子でした。

 ヒットラーに望みを置く世の人々には、ヒットラーは英雄であり、ナチスに反対する少数派の人々(神を恐れる正しい人々)はナチスの良い計画を妨げる国賊であって処罰し排除しなければならない悪い者たちだったのです。

 

 ユダヤ人の時にはいり、世界を統一して覇権を握る「反キリスト」が出現すると、世の人々は彼を歓迎し、神の聖徒らはうろたえるのです。

 

 反キリストの政策により、エルサレムにユダヤ人たちの手によってアブラハムの神の神殿が建てられ中東に平和が訪れると、世界中は驚き、彼(反キリスト)を「平和の君」と思うことでしょう。

 

 イスラエルの中でも、彼は「救世主」のようにみなされることでしょう。

 ユダヤ人たちの念願の神殿を神殿の丘(現在、イスラム教のモスクの建っている場所)に、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の共通の神、すなわちアブラハムの神の神殿が建つのです。

 

 反キリストはイスラエルの願いをかなえて第三神殿を神殿の丘に建てさせた良き指導者です。世界中の人々に賞賛されます。

 先が見えない混沌としていた世界は、強い指導者、確かな目標を持って世界全体を平等に平和に導いてくれるグローバルな指導者の出現を待ち望んでいました。

 反キリストは、まさにその人なのです。

 

 反キリストは、原油に恵まれた中東のある国のように、世界全体の人々に無償でエネルギーを提供するでしょう。食糧もすべての国々に行き渡らせます。貧しい国の人々にとって、まるで救世主のような存在です。すべての人は平等に医療が受けられ、誰かが金持ちで貧しい人々が食べる物もなくて餓死していくということはなくなります。

 

 本当に夢のような世界でしょう。

 世の人々は目の前に実現する、すべての人に平等な世界に安心し、生命維持のための心労から解放されて長い間抱えていた生きていくことの苦しみから解放されたような、偽りの安心と自由を味わうことでしょう。

 実は、真理から遠ざけられて、永遠の滅びの広い道を歩んでいることに気づかないのです。

 

 真理を悟る人々は、世の流れにあらがいます。

 反キリストに忠誠を誓い、反キリストの数字の刻印を受けるならば、食べ物にも困らず、生活は守られます。

 反キリストの数字の刻印を受けないならば、社会活動から疎外されて食べ物を得ることができず餓死するほかありません。

 

 世は、世界の覇者である反キリストが神となって支配する、悪魔の世界が始まろうとしていることを悟ることができません。

 神のことばを知り、真理を求める人々は、悪魔の策略を見抜き、反キリストの勢力に屈しません。彼らは、反キリストの勢力に殺されるか、あるいは餓死します。

 

 反キリストの像を拝まないユダヤ人たちは、反キリストの勢力に殺されます。

 ユダヤ人たちが反キリストに感謝して建てた神の神殿は、反キリストに乗っ取られて、ユダヤ人の礼拝は止められます。神の神殿は、反キリストが神として崇められる、悪魔の神殿とされます。

 

 世は、反キリストによって、悪魔礼拝を強要されるのです。

 目に見えることだけを信じる世の人々は、反キリストが与えてくれる自分たちの利益を見て、疑うことなく反キリストの導く悪魔礼拝に従うことでしょう。

 

 真理のことばを語るふたりの証人は、警告します。偽りの平安で心が満たされている世の人々は、平安をくつがえし争いを引き起こすような彼らの警告を憎みます。

 反キリストによって一つとなった世界に、一石を投じるふたりの証人は、世の平和を乱す者です。

 世の人々は、ふたりの証人を憎み、また、神のことばを頼みとする聖徒らがいなくなることは、世界の平和を実現することだと考えます。

 

 悪魔の世界では、神の聖徒らが不義であり、滅ぶべきものなのです。神の国とは正反対なのです。

 

 神のことばを知る人、神のことばに真理(永遠のいのち)があると思う人は、この偽りの平和に騙されません。

 この世ははかないものです。あると思っていたものが、次の瞬間、もうないのです。

 

 世の人々を真理のことばで苦しめたふたりの証人が殺されると、人々は「平和だ。安全だ。」と喜びます。

 

 神は、終わりの時に、反キリストと悪魔の子らを滅ぼされます。キリストと天の軍勢が来て、地上の悪を滅ぼされるのです。

 

 偽りの平和により頼んでいた世の人々は、そのとき、目が覚めるのです。

 神のことばにより頼んでいた死者たちは、反キリストがもたらした偽りの平和の世の後に、死者の中から甦って、まことの平和の世、すなわち、イスラエルの王として再び地上に来られる神の子羊イエス・キリストが治められる千年王国にはいるのです。

 

 神が約束された平和の王イエス・キリストが治められる平和な世界が出現する前に、神は、滅びが定まっている悪魔が、世界を治めることを許されます。

 反キリストが治める偽りの平和の世にあって、神は、神の怒りが頂点に達したバチカンと教皇とその組織を、反キリストと反キリストの治める十の国の王によって焼き払われます。

 

 そして、その後、キリストご自身が、世を惑わした反キリストと偽預言者とを、悪魔の裁きのために用意した、燃える火の池に生きたまま投げ込まれます。

 

 神は、世の終わりに、世の人々を試みられます。

 神を信じない人、神に信頼しない人、神を憎む人、世を愛する人は、反キリストのもたらす「偽りの平和」に安心し、この世に生き延びることを願って反キリストを慕います。

 神を信じる人、神に信頼する人、神を愛する人、偽りの平和を警戒する知恵のある人は、「まことの平和」の実現することを信じて、神のことばにすがり、神の義のために自分のいのちを捨てます。