ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

いつまでも残るもの

 

 「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」(コリント第一13:13)

 

 いにしえから人は、普遍のものに憧れを抱いて来ました。

 人は必ず死ぬということは、どうにもならない摂理です。しかし、受け入れられるものではありません。どうして?なぜ?という疑問が残ります。

 

 だれに向かって問いただせばよいのでしょうか。答えは出ません。

 

 聖書に真理があると言われます。

 イエスは言われました。

 「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたし(イエス・キリスト)について証言しているのです。」(ヨハネ5:39)

 

 聖書は、イスラエルにメシアが遣わされることを預言しています。

 ユダ族のダビデの子孫にその人が現われること。

 その人は、処女から生まれる神の御子であること。

 その人は、さげすまれ、人々からのけ者にされ、痛めつけられて、木にかけられること。

 流されるその人の血によって、世の罪は取り除かれること。(その人は、世の罪を取り除く神の子羊であり、神はその人を、世の罪を取り除く贖いの子羊として、神の祭司の国民イスラエルに遣わされるのです。)

 神は、その人をハデス(死の国)に捨てて置かれず、新しいからだで甦らせ、栄光のキリストとされること。

 その人は、聖霊のバプテスマを授けるキリスト【救世主】であること。

 キリストは、御霊を与え、永遠のいのちを得させる、神のひとり子であること。

 

 これらの聖書のメシア預言は、木(十字架)につけられたナザレのイエスによって、成就しました。

 

 聖書は、ナザレのイエスがキリストであることを証言していたのです。

 しかし、聖書の民ユダヤ人たちは、(永遠の)いのちを得るためにイエス・キリストのもとに来ようとはしません。

 

 「永遠のいのち」は王者たちの悲願でした。聖書をゆだねられたイスラエルだけのことではありません。どの国の王も恋い慕ったものです。

 

 神は、人のうちに永遠を思う思いを与えておられます。

 失った魂を再び神のみもとに帰らせるため、神がお与えになった、人のうちに仕組まれたその手がかりです。

 

 永遠を思う心は、人に普遍への憧れを抱かせます。

 魂に永遠のいのち(神)と繋がる錠が仕組まれているからです。

 魂はぴったりと合う鍵を求めて、生老病死の苦しみに渇く魂は、肉体の死から解放されて贖われ、本来あるべき姿となることを待ち望んでいます。

 

 人々は、目に見えない存在を知っていたようです。人は霊的な存在だからです。

 それで、神に代わるものを自分たちで作り、偶像に繋がって自分の魂に希望を与えています。

 

 しかし、それは本当の神ではありません。人に命を与えた神ではありません。

 作った人間が滅びるならば、偶像もまた滅びるのです。そこには、普遍は存在しません。永遠の思いはあっても、永遠のいのちを持っていないものに、普遍のものは作り出せないのです。

 

 神は、人を造り、御自分のいのちの息によって、生きものとされました。それゆえ、人は永遠を思うものなのです。永遠のもの(神)によって造られているから、普遍を思い、「永遠」に憧れるのです。

 

 この永遠の神が、罪の贖いの神の子羊(神の御子イエス・キリスト)を、自分の罪の中で死んで行く人々を救い、永遠のいのちを得させるために遣わされました。

 

 神のひとり子は、永遠の思いを持つ人々が待ち望む希望、永遠の扉を開く鍵を持っておられます。

 

 永遠のいのちは、イエス・キリストの中にあるのです。

 イエス・キリストは、聖霊のバプテスマを授けるキリスト【救世主】です。

 

 「神は主(神の子羊イエス)を甦らせましたが、その御力【聖霊】によって(イエス・キリストによって贖われ、永遠のいのちを得させられる希望と信仰を持つ)私たちをも甦らせてくださいます。」(コリント第一6:14)

 

 人類の魂に埋め込まれた天と結ばれる錠に、イエス・キリストの鍵で開けられた魂は幸いです。

 罪が赦された喜びと、神に義とされる平安と、永遠のいのちの希望と束縛からの開放、父とイエス・キリストと聖霊の愛の交わりの中にはいって愛されている喜びを味わい、感謝と賛美と、確かに祈りを受け取ってくださる方を知る信仰を得たのです。

 

 永遠のいのちを得させてくださる、神の子羊イエス・キリストが与えられる信仰は、私たちを永遠のいのちへと導いてくださいます。

 永遠のいのちを得させてくださる、神の御子イエス・キリストのお与えになる希望は、私たちをキリストとともに、天の御国を相続する神の子どもとしてくださいます。

 永遠のいのちを得させてくださる、救い主イエス・キリストの愛は、私たちに御霊を与え、信仰の結果である、魂の救いを得させ、父と御子イエスと聖霊の交わりの中にいれてくださいます。

 

 永遠のいのちを得させてくださる、魂の救い主イエス・キリストは、私たちにもうひとりの助け主「真理の御霊」を授けてくださいました。

 

 天の御国にはいるその日まで、主はともにいてくださるのです。

 

 いつまでも残る信仰と希望と愛は、永遠に生きられるイエス・キリストのうちにあります。

 イエス・キリストの御名によって授けられる聖霊のバプテスマは、信仰の結果である、魂の救いを得させてくださいます。

 

 御霊は、私たちを造り変えてくださいます。

 「可変」の意識を「不変」の意識へ。「特殊」の思いから「普遍」の思いへ。

 「束縛」から「自由」へ。「死の恐怖」から「いのちの感謝」へ。

 

 「あなたがたは(御霊を受けた私たちは魂の救いを得て)、イエス・キリストを(肉眼で)見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」(ペテロ第一1:8)

 

 天の御国にはいると、信仰は成就し、希望は現実のものとなります。私たちは、御霊によって一つとなり、愛と調和の中に存在するのです。

 永遠に神の愛に包まれ、永遠に私たちは愛し合い、永遠に神をほめたたえるのです。