ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

祝福の道

 

 モアブの地で、主がモーセに命じて、イスラエル人と結ばせた契約のことば。

 「さきに主が、あなた(イスラエル)に約束されたように、またあなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたように、きょう、あなたを立ててご自分の民とし、またご自身があなたの神となられるためである。

 しかし、私は、ただあなたがたとだけ、この契約と呪いの誓いとを結ぶのではない。きょう、ここで、私たちの神、主の前に、私たちとともに立っている者、ならびに、きょう、ここに、私たちとともにいない者に対しても結ぶのである。」(申命記29:13-15)

 

 「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福と呪いを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。

 あなたもあなたの子孫も生き、あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり、あなたは主が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。」(申命記30:19,20)

 

 神の呪いの契約とは、「その心がイスラエルの神、主を離れて、異邦の民の神々(偶像)に行って、仕えるような者、また、この呪いの誓いのことばを聞いたとき、『潤った者も渇いた者も等しく滅びるのであれば、私は自分のかたくなな心のままに歩いても、私には平和がある。』と心の中で自分を祝福する者があるなら、主はその者を決して赦そうとはされない。むしろ、主の怒りと妬みが、その者に対して燃え上がり、この書に記されたすべての呪いの誓いがその者の上にのしかかり、主は、その者の名を天の下から消し去ってしまう。

 主は、このみおしえの書に記されている契約のすべての呪いの誓いにしたがい、その者をイスラエルの全部族からより分けて、わざわいを下される。」(申命記29:18-21)というものです。

 

 神の祝福の契約とは、「あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたを憐れみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。

 たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても、あなたの神、主は、そこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻す。あなたの神、主は、あなたの先祖たちが所有していた地にあなたを連れて行き、あなたはそれを所有する。主は、あなたを栄えさせ、あなたの先祖たちよりもその数を多くされる。

 あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。

 あなたが神、主は、あなたを迫害したあなたの敵や、あなたの仇に、これらすべての呪いを下される。あなたは、再び、主の御声に聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を、行なうようになる。」(申命記29:1-8)というものです。

 

 神は、確かに、イスラエルと、のちに救いに入る異邦人の前に、いのちと幸い、死とわざわいを置かれたのです。

 

 イスラエルは、創造主にして全能の神、裁き主であられる主に造られた神の民です。彼らは、人類における祭司の国民です。彼らは、世界中に、唯一まことの神の御前に置かれた祝福と呪いを告げ知らせ、人類の前には、祝福の道と呪いの道があることを教えなければならない民なのです。神のことばを預かり、神のことばを全人類に証しなければならない務めを担う民族です。

 

 しかし、彼らの主(神の御子)が人のかたちをとってイスラエルに来られたのに、彼らは主(イエス・キリスト)を信ぜず、殺してしまいました。主を信じなかったことで神の怒りを買い、その任務は、キリストの弟子となった異邦人が負うこととなりました。

 

 神がイスラエルを造ってくださったことで、人類は神のみおしえが記された契約の書(聖書)を受けることができました。イスラエルの地にユダヤ人が置かれたことで、神から遣わされた救い主イエス・キリストが、人の子として世に現われました。

 

 このイスラエルを異邦人は苦しめました。キリスト殺しの罪を叫び、異邦人キリスト者(御霊を持たない自称キリスト者)たちが、ユダヤ人を迫害し、イエス・キリストの御名によって殺戮しました。ユダヤ人を大量虐殺したのです。ユダヤ人の心はキリストに対してかたくなになりました。石のように固くなったユダヤ人の心は、キリストを憎み、その思いは神から遠く離れ、心には覆いがかけられて神の真理の光が閉ざされました。

 

 木にかけられ、罪の生贄となられた神の子羊イエスを仰がなければ、その覆いは取り除かれることがありません。彼らの先祖が屠ったナザレのイエスこそが、神の御心を満足させる贖いの血を注ぎ出した神の子羊でした。

 

 ナザレのイエスを仰ぎ、キリストの贖いの血を受けると、イスラエルの神の務めは回復されます。これは、民族的な救いによってなされます。そして、イスラエルの任務を担うのです。

 

 神がモーセを通して誓われた祝福の道は、神の御子イエスの道なのです。神の御声に聞き従い、神のすべての命令を行なう、永遠のいのちの道です。神が約束された神の御国を相続する神の子とされる歩みです。

 

 イスラエルを神の民とするために、聖書が与えられたように、神の子とするために、キリストの御霊が与えられます。御霊はイエス・キリストを主と告白する者に与えられ、御霊はその人のうちにあって霊を新しく生まれさせ、彼を神の子に創造されるのです。

 

 キリスト・イエスは、新しいイスラエルの長子です。御霊によって生まれた者は、キリストの兄弟姉妹です。新しいイスラエルとは、イエス・キリストによって与えられた新しい神の契約(御霊に聞き従う)を守るイスラエル(神の民)のことです。

 

 人類の前には、祝福の道と、呪いの道が置かれています。永遠のいのちに続く道と永遠の死(滅び)に続く道です。どちらの道を行くのかは、その人次第です。

 

 神の命令は、「永遠のいのち」です。「神の御子イエスを信じ御霊を受けて、主の御声に聞き従う道を歩め。」なのです。神は、すべての人が祝福の道を選び、救いを受けることを望んでおられます。