ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の命令は永遠のいのちを得させるため

 

 「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。

 神である主は、人に命じて仰せられた。

 『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪を知る知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。』」(創世記2:15-17)

 

 人を造られた神が、人に命じられたことは何だったのでしょう。

 「園の中央にある善悪を知る知識の木の実を取って食べてはならない。」ということでした。

 神は、「園のどの木からでも、人の思いのまま取って食べてよい。」とも仰せられました。

 

 神が人に禁じた命令は、「善悪を知る知識の木からは取って食べてはならない。」ということでした。あとは、人の思いのまま食べてよいのです。

 

 「取って食べてはならない。」と言われました。「食べてはならない。」と命じられたならば、取ることはないはずです。しかし、神はあえて、取ることの危険を知らせておられました。

 

 取る行為そのものが、罪へと進む誘惑をもたらすからです。「取っても食べなければ良いのでしょう。」という考えは、人の理屈です。

 しかし、神の命令は、罪に進むのを守るものでもあるのです。

 

 エデンの園から追放されたアダムとエバの子、カインとアベルのことを見てみましょう。

 

 「主は、(純真な心で神の御前に出た弟)アベルとその献げ物とに目を留められた。だが、(神を敬う心のない兄)カインとその献げ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。

 そこで、主は、(神の御前で正しくない)カインに仰せられた。

 『なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。(正しい心で神の御前に立たなかった悪い心のカインが、正しい心で神の御前に立つアベルを妬み、憎んだのです。)

 あなた(カイン)が(正しい心で)正しく行なったのであれば、(神に)受け入れられる。ただし、あなたが、(悪い心で)正しく行なっていないのなら、罪(罪を犯す力を与える悪霊ども)は戸口で待ち伏せして、あなたを(罪に陥れようと)恋い慕っている。だが、あなたは、それを治める(悪しき霊の誘惑に負けて悪い行ないをするのではなく、悪いもののささやきに流されずに自分自身でコントロールする)べきである。』」(創世記4:4-7)

 

 地に属する肉の性質(死の性質)の人が、天に属する御霊の性質(いのちの性質)の人を迫害することは、この時からすでにあったようです。

 

 カインは、自分自身を治めることができずに、悪い霊にあおり立てられたまま、自分の怒りにまかせて、正しい弟のアベルを殺しました。

 

 神は、カインに忠告されました。自分の心を正しく管理するように仰せられたのです。しかし、カインは、神のことばに逆らいました。カインは、神の愛を知らない者でした。カインは、赦しや愛を欲する者ではありませんでした。

 カインは、天から追放された堕天使、悪魔と悪霊どものように、神に悔い改めるよりも、自分の思いを主張する者でした。

 

 神にいきり立つ者です。悪魔の性質で生きる者は、悔い改めません。自分がいつも正しいのです。そして、自分の罰が軽くなるように神に訴える者です。

 

 神は、アダムに、善悪を知る知識の木の実を食べてはならない、と命じられました。なぜならば、その実を食べるその時、必ず死ぬからです。

 善悪を知る知識の木の実を食べるならば、悪魔と同じものとなって神と断絶され、悪魔の支配下にはいって神と交わる霊が死に、永遠の火の池の滅びの道を歩むことになるからです。

 

 神の命令は、人を苦しめるものではありません。死なせないための命令なのです。実際、アダムが神の命令に従って善悪を知る知識の木の実を食べなければ、いついつまでも、エデンの園で平安な日々を送っていたことでしょう。

 生老病死の悩みはなかったのです。カインがアベルを殺すこともなかったのです。

 

 人の持つすべての悩みの原因は、アダムが神の命令に背いたことにあったのです。

 罪は人のうちに入り、罪が人を支配するようになったのです。

 

 神は、人が罪あるままで永遠に生きないように、といのちの木への道を閉じ、人がいのちの木に辿り着けないように守られました。

 

 しかし、神の愛は広く、高く、深いのです。神の愛は、人をきよめ、罪なき者として、いのちの木の実を食べさせるに至りました。

 死んだ者の贖いのために、神はいのちを要求されます。血はいのちです。血によって贖われなければなりません。神は、罪穢れのない全き子羊の血によって、罪の力を打ち砕かれました。

 

 神は、罪人に悔い改めの心を与えられます。

 彼らが、救われたいと願っているからです。

 

 神は、神のひとり子に肉体を造り、世の罪を取り除く贖いの子羊として、神の祭司の国民イスラエルに遣わされました。

 

 神の子羊の血は、神の怒りをなだめ、世の罪を贖いました。神は、子羊イエス・キリストが流された血を御覧になって、裁きを過ぎ越されます。

 

 神の子羊イエス・キリストの御名(ナザレのイエスは、天地万物を造られた全能の主、生けるまことの神であられる裁き主が、世の罪を取り除くために遣わされた神の子羊であり、唯一まことのキリスト。すなわち、神が天から遣わされた神のひとり子であり、ただひとり、死と裁きに定められた罪人を死と裁きと滅びから救い出してくださる救世主であること)を信じるならば、その人は、キリストの血に覆われて、裁きが過ぎ越されるのです。

 

 神は、神の御子イエス・キリストを信じるように、命じておられます。それは、永遠のいのちを得させるためです。

 

 「御子(イエス・キリスト)を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。」(ヨハネ3:18)

 

 神の命令は、永遠のいのちを得させるためです。

 神がアダムに、善悪を知る知識の木の実を食べてはならないと命じられたのも、死なせないためでした。善悪を知る知識の木の実を食べるならば、必ず、死ぬからです。悪魔の性質を帯びるからです。

 

 神は、すでに、自分の罪を認めず、決して悔い改めることのない、高ぶった悪魔と悪霊どもをさばかれており、彼らを投げ込む永遠に燃え盛る火の池を用意しておられます。

 死んだ者は、悪魔と悪霊どもに定められている、永遠に燃え盛る火の池にはいらなければなりません。

 

 神の命令は、私たちを死なせないためです。神は、私たちに、永遠のいのちを得させようとして、命令を下しておられるのです。

 

 「パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、『(あなたがたは神の御子イエス・キリストを)信じたとき、聖霊(キリストが与えられる真理の生かす御霊)を受けましたか。』と尋ねると、彼らは、『いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。』と答えた。

 『では、どんなバプテスマを受けたのですか。』と言うと、『ヨハネのバプテスマ(罪を悔い改めて神に立ち返るための水のバプテスマ)です。』と答えた。

 そこで、パウロは、『(バプテスマの)ヨハネは、自分のあとに来られる(救い主、すなわち罪を贖う神の子羊キリスト・)イエスを信じるように人々に告げて、(自分の罪を言い表わして神の御前に正されるための)悔い改めのバプテスマを授けたのです。』と言った。

 これを聞いたその人々は、主イエスの実名によって(聖霊の)バプテスマを受けた。

 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。」(使徒19:1-6)

 

 聖霊のバプテスマを受けると、御霊のわざが現われました。このことは、神の霊(真理の御霊)がその人に臨んでいることをあかしします。

 

 キリストは、水のバプテスマを授けられることはありませんでした。

 キリストの与えるバプテスマは、聖霊のバプテスマなのです。天から来られたキリストは、天のいのち(生かす御霊)を授けられます。

 

 それは、永遠のいのちを得させるためです。御霊によって新しく生まれ(新生し)、父なる神を「アバ、父。」と呼ぶ御霊によって、神の子どもに造り変えるためです。

 

 神は、私たち(死と滅びが定められていた罪人)を死と滅びから救い出し、永遠のいのちを得させるために、「救い主イエス・キリスト」と、キリストを信じる人々をいのちの道へと導く、「もうひとりの助け主、真理の御霊」とを遣わしてくださっています。

 

 神は、神が遣わされたものに聞き従うようにと、命じられます。

 キリストを信じる者は、神の御子イエスを遣わされた神を信じる者です。また、キリストの御霊に従う者は、御霊を遣わされたキリストを主とする者であり、父なる神に聞き従う者です。

 

 神は、神が遣わされた真理の御霊によって神の子どもたちを、正しい道へと導かれます。御霊のうちに、神の御思いがあり、神の知恵と知識と愛とがあるのです。

 

 真理の御霊は、永遠のいのちを得させるために、肉の性質を破る試みを通していのちの道へと導かれ、神のために、永遠のいのちの「御霊の教会」を建て上げられます。