ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

愚か者

 

 「愚か者は心の中で、『神はいない。』と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。(彼らのうちに)善を行なう者はいない。

 主は天から人の子らを見おろして、神を尋ねる、悟りのある者がいるかどうかを御覧になった。

 彼ら(愚か者)はみな、(神から)離れて行き、だれもかれも腐り果てている。

 善を行なう者はいない。ひとりもいない。」(詩篇14:1-3)

 

 神が賢いとされるのは、神に信頼する者です。

 神から離れる者は、いのちが流れる生木から離れて、神のいのちを失った枯れ木です。

 

 永遠のいのちの神から離れた者は、どこから自分のいのちを得るのでしょう。

 彼らは、「神はいない。」と言って、自分自身に偽りを言っているのです。それが偽りかどうか、神がいるのなら神を見せてみろ、と息巻くかも知れません。

 

 神は、見えない神を恐れる賢い者に御自身を現わし、「神はいない。」と高ぶる者に御自身を隠されます。

 

 神から離れ、生けるいのちの水を受けることのない者が、どうして生きることができましょうか。どのようにして、いのちを得ることができましょうか。

 いのちの流れない者に、実をならせることはできません。神は、彼らは腐っており、善を行なう者はいない、と仰せられます。

 

 彼らが慈善的な行ないをしても、神に覚えられません。神はその行ないのうちに、善を見いだされないからです。自分の名声のために良い事をするだけで、他者のための慈悲の心が見いだせないからです。

 

 高ぶる者は、神が賢いとされる人々、すなわち神を尋ね求める人々を嘲笑い、彼らを平気で踏みつけるのです。

 「神はいない。」と言っている腐り果てた者は、悩む人々をはずかしめます。しかし、神は、主を呼び求める正しい者とともにおられます。

 主が、貧しい者たちの避け所なのです。

 

 持っている者は高ぶり、持たない者は低くされます。

 

 イエスは言われました。

 「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」(ルカ12:15)

 

 また、イエスはたとえを話されました。

 「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』

 そして、言った。『こうしよう。あの(今ある)倉を取り壊して、(豊作の収穫の全部が納められる)もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

 そして、自分の魂にこう言おう。「(私の)魂よ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。(十分な物に満たされて安心だ。)さあ、(将来を心配せずに)安心して、食べて、飲んで、(人生を)楽しめ。」』

 しかし(彼のいのちを御自身の手のうちに握っておられる)神は彼に言われた。『愚か者。おまえの魂は、今夜おまえから取り去られる。(神が今夜おまえの魂を取られるから、おまえは今夜死に絶える。)そうしたら、おまえが用意した(多くの)物は、いったいだれのものになるのか。』

 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」(ルカ12:16-21)

 

 世では、金持ちを、何でも自分の意のままにできる成功者のように考えます。人々はみな、彼の前でかしずくのです。

 お金の力で、自我を通すことができます。

 お金の力で、何でも思い通りです。

 お金の力で医療費を気にせずに先端医療を使って、何とか命を伸ばすことだって可能な時代です。

 

 お金があれば、神を気にかけなくても生きてゆけます。お金は、人を権力者にします。

 しかし、権力にはもっと上の権力があります。その権力は、権力者のすべての持ち物、またいのちをも握っておられるのです。

 

 偉大な権力をお持ちの神が、ことばを発すれば、その人の財産は一瞬で砕け散ります。この大いなる権力者がふっと息を吹きかければ、その人のいのちの火は消えます。

 そして、魂の値打ちをはかられる裁き主は、その人の魂が住まう永遠の場所をも定められるお方なのです。

 

 「神はいない。」と言う愚か者は、自分の魂の責任を取ることができません。愚か者には、永遠の避け所がないのです。

 彼は、この世には多くの避け所を備えていましたが、永遠への思いを持ち合わせてはいませんでした。肉体を脱いだ後にも魂は永遠に生きることも、魂のために永遠の場所が用意されていることをも悟ることのできない愚か者です。

 

 この世の勝利者、成功者と言われた彼らは、彼らの栄華のしるしの全財産を持って行くことができないのはもちろんのこと、だれもが持っている唯一の財産である「自分自身の魂」すら失ってしまうのです。

 

 神を恐れ、主を尋ね求める者は、信仰の恵みによって、救い出されます。自分の魂を失うことがありません。

 

 彼らは、主への信仰によって、信仰の勝利者となるのです。彼らの魂は、彼らが信頼した主によって、とこしえの安息を得るのです。

 彼らの魂は、主を避け所としていたので、主が守られるのです。

 

 自分自身を頼みとした者、また、永遠のいのちを与えることのできない偽りの神々、すなわち、いのちの神ではないものを避け所とした愚か者は、いのちが取られ、永遠の死に定められるのです。

 

 神が愚か者と仰せられる者は、神から離れた者、また、神を尋ね求めない者、自分の魂のために永遠の備えをしない者、「神はいない。」と言っている者なのです。