ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

天の神と地の神


  地上にはたくさんの宗教があり、神もたくさんいます。悩みをそぎ落とし、この世の営みを超越して、苦しみにも悲しみにも捕えられる事のない精神的高みを目指している事に於いては似ています。

  何か助けられた事があったり、安らぎを感じる事があったり、思想的に合うと思ったり、人それぞれ何らかのご縁があって信じていると思います。

  また、目に見えない神の存在を感じていて、神に畏敬の念を感じて神と呼ばれるものを拝んでいるのかも知れません。

  どの宗教を信心していても登る道が違うだけで、行き着く先は同じ。魂を高める精神的山の頂点を目指しているんだ、という事を聞きます。

  山の頂点という事は、空の上には行けないって事でしょうか?

  人が作った神は地に属していて地上に居り、地続きの山の領域までは導いてくれます。頂上に辿り着いた人は地を見渡す事が出来るでしょう。

  上空へは飛行機で行きます。でも、行先はやはり地上です。地上の場所を移動するに止まります。

  ロケットを飛ばして宇宙に行きましょうか。何処までもずっと闇の世界です。新しい命、希望と光を求めて行くには相応しくありません。

  光は宇宙の外にあるのです。光に漆黒の闇の宇宙が包まれているって事でしょうか?

  次元が違うのです。同じフィールドに光と闇が存在しているのではないのです。光に達したくても人間の力では届かないところなのです。

  この人間の力では届かない光から地上に来られた天の神がいます。天からやって来た神は山の頂上では無く、天まで連れて行く神です。

  地上の人間を天に引き上げ、光へ入れて下さる唯一の神であり、この天の神がこの働きをするようにと、油注いで天から地に遣わした人がひとりだけいます。それはベツレヘムで生まれたイエスです。

  天から来た、天の神と人の間の仲介者です。キリスト(救い主という称号)と呼ぶ事が出来る唯一の人です。


  神との仲介者ですから、イエスキリストの名前で祈る祈りは神に届けられます。だから、祈りの最後に「主イエスキリストの御名によって祈ります。」って言います。

  子どもの賛美にこんな賛美の歌があります。

  君は神様にね 話したことあるかい
  心にあるままを打ち明けて
  天の神様はね 君のこと何でもわかっておられるんだ 何でもね
  だから空あおいで 神様と一言祈ってごらんよ わかるから
  小川のほとりでも 人混みの中でも 広い世界のどこにいても
  本当の神様は 今も生きておられ お祈りに答えてくださる


  天の神様は目に見えないから、はじめはわからないものです。私もわかりませんでした。

  イエスって世に現れた聖人の一人なんでしょう!どうして、同じ人間のイエスが神の子だと信じれるのでしょう。あとから人間に神として祀り上げられた神は聞くけど、神が人となって天から来られたっていう事が本当にあるのでしょうか?人を造った神がいるって事も信じ難い事でした。

  「本当に神はいるんですか?」神に祈ってみました。「本当にいるなら教えてください。イエスが神の子なら、信じる事が出来るようにして下さい。イエスを信じる信仰を下さい。」

  天の神を信じるって事は、人の努力や熱心、修行で得られるものではありません。この世の延長におられる方では無いからです。地の知識では到達出来ません。天の事は天に属するものにしかわからないのです。

  一年はかかりました。どうやって信じたのかわかりません。ある時わかったのです。わかる事は神の恵みです。神から与えられるものなんですね。

  それで、天の神とともにいる者となりました。自分がイエスを信じる事が出来た事こそ、奇跡だと思います。

  あきらめなかった!っていう事の報酬でしょうか。私は信仰が与えられるのを求めて神から離れませんでした。

  目には見えないけど、天の神様は本当におられて、人の心が天の神に向いて光を求めるのを待っておられます。イエスに聞いたら、天の神の事を教えて下さいます。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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