霊的世界は、光と闇があります。神と悪魔です。
神は、自ら存在し、存在の源である方です。悪魔は、存在の根源である方と等しい者となろうとする被造物です。
神は、万物の存在の原因であり、被造物が存在する目的を持っておられる方です。悪魔は神に敵対し、悪魔の世界を作ることを目的に、神の被造物を操る者です。
神の光は、悪魔の闇によって遮断されました。悪魔は、偽りの光で人間を惑わします。偽りの光は、この世を楽しむことを教え、秩序の無い自由を謳歌させます。
世の人々は、悪魔の与える偽りに騙され、一喜一憂し、翻弄されます。世の楽しみに酔う人々は眠りから覚めません。
悪魔のうちには、愛はありません。妬みと憎しみと怒り、疑いと裏切り、争いと分裂が、悪魔の力であり、栄光です。
悪魔は、冷酷な者が大好きです。愛なんて必要がありません。神と神のしもべや神の民を嘲笑い、憎む者は、悪魔の役立つ者です。悪魔は、彼らの願い通りに彼らの望むものを与えて、彼らに悪魔のわざをさせます。彼らは悪魔が与えてくれるものを喜び楽しみながら、悪魔に仕えます。その代償は、死です。
偽りの光は、真理の光を憎みます。偽りの光は、自らを真理の光であると偽り、人々を信じ込ませます。それで、彼らは、本当の真理の光を偽りだと思うのです。
天の御国では、神が賛美されています。賛美が光を生み出し、光は調和しています。真理の光は、光を生むのです。
神を賛美することは、天の御国の生き方で歩んでいることであり、悪魔が憎むことです。それで、地上の世においては、神を賛美する神の子らは、悪魔の敵です。
悪魔はこの世の祝福を彼らの前に置いて、彼らを誘惑します。お金、人気、地位、名誉。お金に困っている者には世のお金を、孤独な者には詐欺師の友を、日陰にある者にスポットライトを、弱い者に勇気を、この世のものである偽りの光に目を向けさせて心を捉え、彼らのうちにあった神への信仰を奪い去るのです。
偽りの光の方が、現実的であり、豊かであると信じ込ませます。真理の光を失った彼らを悪魔は蔑み、笑いものにします。悪魔の動機は愛ではなく、真理の光を消すことにあるからです。
真理の光は、光を生みますが、偽りの光は、闇を生みます。
神の子が、真理の光の中を歩むのに必要なのは、神への感謝と賛美です。
病気になります。嘆き悲しみます。嘆き過ぎ、悲しみ過ぎるところに、悪魔は近づきます。神に愛されてないのではないのか、神はひどい方だ。神を疑わせ、不信感を育て、やがて、怒り、神を憎むように仕向けます。
神を疑い憎む者の心は闇に包まれます。真理の光は彼のうちに届かなくなるのです。真理の光を見失った彼は、偽りの光に慰めを見出します。
可哀そうに、本当に大変だったね。自己憐憫を増長させる環境に彼は身を置くのです。
真理の光を求める者は、病気の意味を知ろうとします。神が意味も無く苦しみをくぐらせることは無いことを知っているからです。
どんな状況でも、神は変わることの無い方です。天の御国では、常に神が賛美され、礼拝されています。神の御前に出る時は、すべての荷を下ろすのです。
賛美は、神に感謝し、神を褒めたたえることです。理由がわからなくても、神に感謝します。病気になって初めて、健康に日々を送ることが恵みであることに気づくのです。
今まで何事もなく、生活できて来たことを感謝します。目が見えること、耳が聞こえること、指が動くこと、心臓が動いて神に祈れることを感謝します。感謝していく中で、自分自身の感情ではない、別のお方の思いが自分のうちに働くことを体験します。
自分の肉体に起こっていることに無感覚になり、意識は真理の光の中に入って行くのです。何故か神の愛を体験し、魂は喜びに満たされるのです。肉体は苦しんでいるのに、魂は喜びに満ち、安らぐのです。
やがて、肉体の痛みや苦しみまでが、神の深みに連れて行ってくれた素晴らしい、真実な友のように感じ、何故か身体の痛みや病気をも感謝するようになるのです。
何もないことに不満を持っていた人が、何もないことが祝福であり、守られていたことに気づくのです。
真理の光の中で生きる魂に、拘束はありません。縛るものが無いのです。どんどん広がっていく自由があり、肉体からの解放があります。
これが真理の光、永遠のいのちです。細胞分裂のように増え広がるいのちです。それは、キリストの御霊にある感謝と神への賛美のうちにあります。
神の子らの食べ物は霊の食物、神を讃え、喜び感謝することです。闇は真理の光に打ち勝てません。真理の光が輝くところに、闇は留まることが出来ないからです。
真理の光は、神へと導く永遠のいのちの光です。天のものです。
偽りの光は、闇へと導く悪魔の、永遠の滅びと死に追いやる偽りの光です。世のものです。
悪魔は、光の御使いに変装します。悪魔の手下どもは、義のしもべに変装します。。人を欺く者、神を憎む者は、光に変装します。しかし、それは偽りのものであり、偽りの光です。
闇の世では、どちらも人の目には光として映ります。心に光のある者は、気づきます。心に愛のある者、親切、誠実、柔和、憐れみ深い者、義に飢え渇いている者、心の清い者、平和を作る者、義のために迫害されている者は、真理の光を捉えることが出来るのです。