ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

へりくだりと卑下

 

  卑下は、自分を相手よりも劣った者として、相手に敬意を表す方法です。卑下はへりくだりとは違います。卑下は、自分というものを持った状態です。自分はあなたほどの者ではありません、とわざわざ言うのは、自分が相手と等しい者だと思っているからです。

 

  卑下という方法を使って、相手と自分を差別化しているだけです。心の中は、決して相手にへりくだっているわけではありません。

 

  でも、人間関係ではこの方法は、相手の心を和らがせるのに有効です。人間関係を円滑にする人の知恵であり、大人の対応です。

 

  このような人の対応は、神には役立ちません。神は、すべてを見抜かれるお方です。卑下の偽りは見抜かれ、たちまち退けられてしまいます。

 

  神の御前では、真実でなければなりません。正直であることが大切です。神は、形だけのへりくだりで満足されるような暴君ではありません。形だけのへりくだりなんて存在しません。形だけという時点で、それはへりくだりではありません。

 

  神を神として畏れる心が必要です。これは、神に出会ったとき、起動する心の動きです。心の中に自分をしっかりと持ち、いろいろなものを所有する者は、発動しません。起動するはずの受容体が埋め尽くされて、神性を捉えられないのです。

 

  人は誰もが、神によって永遠への思いが与えられているのです。自我の強い人は、頑迷で、その受容体の機能を塞いでいます。受容体は存在しても、機能しないのです。

 

  本来、人は霊的存在として造られており、神とも会話をしていました。ですから、霊的機能は持っているはずですが、退化したのです。

 

  しかし、退化しつつもわずかながら、霊的機能が働く者もいます。それは、その人自身が選択した結果です。目に見えるものよりも見えないものに価値を見出し、この世では味わえない不思議なことに心を向け、捉えられたのです。

 

  目に見えないものを信じる者の前には、二つの道があります。地上に繋がる偶像を信じる道と、天にあるものを信じる道です。

 

  天にあるものを信じる者の前には、二つの道があります。闇の王者に繋がる道と、天の神に繋がる道です。

 

  闇の王者は、偽りの光で導き入れます。偽りの光はまことしやかに光を与え、闇へと連れて行くのです。真理の光を知らない人間は、偽りの光を真理の光だと思い、喜び勇んでその道を進んで行きます。

 

  そして、神が行われるみわざを悟り得たかのように、勝ち誇ります。そのような人には、卑下もへりくだりもありません。

 

  一方、天の神は、へりくだる者に現されます。卑下する者ではありません。へりくだりとは、自分の冠を神の御座に投げ出す者です。自分の功績や名誉にあぐらをかきません。栄光は神にあることを知っているのです。真の価値を知る者です。

 

  偽りなく正直に生きる者であり、神に絶対的信頼を寄せる者です。自分が空しい者であることを知っており、神の主権にへりくだる者です。

 

  誉れと、とこしえの主権は神のものであることを知っている者です。本当のへりくだりとは、永遠の神、死のない方で、人間が誰ひとり見たことの無い、また見ることの出来ない、近づくことも出来ない光の中に住まわれる真(まこと)の神に対するあるべき姿です。

 

  へりくだりとは、神に対する人の本性であり、創造されたときの姿です。神にへりくだる者は、心が神に向かいます。神に結び付いた魂は、神から教えられます。

 

  イザヤは言います。

 

  「いと高く崇められ、永遠の住まいに住み、その名を聖と唱えられる方が、こう仰せられます。『わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。』」

 

  主は、心の打ち砕かれた者を癒し、彼らの傷を包むお方です。神は、砕かれた人とともにおられます。

 

  イエスのことを書いた箇所があります。

 

  「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。虐げられている人々を自由にし、主の恵みの年を知らせるために。」

 

  このみことばは、二千年前に十字架にかかられた神の子羊イエスによって成就し、また、聖霊のバプテスマを受けたイエスの弟子達が、主とともにおられた同じ聖霊によって、現在に至るまで体現し続けているのです。

 

  神は、へりくだった者を生むために、御霊によって、聖徒らの心を打ち砕かれます。神にへりくだることこそが、真のへりくだりであり、いのちだからです。

 

  「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになります。主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます」と聖書に書かれています。

 

  「わたしは、あなたのうちに、へりくだった、寄る辺のない民を残す。彼らはただ主の御名に身を避ける。」と、あります。

 

  へりくだった人の霊は生かされ、砕かれた人の心は祝福されるのです。