ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

どん底まで落ちろ

 

 「落ちろ、落ちろ、どん底まで落ちろ。どん底に大地あり。」

 これは、朝の連続番組「エール」の中で、放射能医学者で、長崎に投下された原子爆弾の被爆者でもある、永井隆博士が、自身の作詞「長崎の鐘」の曲をつくる作曲家の古関裕而に言った言葉です。

 

 永井博士は、原爆で無一文となった浦上の人々が博士のために建てた建物に住んでいました。博士は、”己のごとき隣人を愛せよ”という意味から”如己堂”と名付けました。ふたりの子どもと共に暮らした場所です。

 

 如己堂に一度行ったことがあります。畳二畳ほどの一間の家です。研究していた放射能の影響で白血病の寝たきりの永井博士が横たわり、執筆をしていた家でもあります。

 

 永井博士は、長崎の惨事を潜り、妻を失い、人間の創造する悲惨を味わった人です。彼の状況は、命を失うほどのどん底まで落ちました。でも、彼は生きています。

 

 どん底まで落ちた時、彼はそれまで見えなかったいのちの手を見ました。地上に残された命で、神の御手を体験したのです。すべてを失ったかのように見える悲しい現実にあったのは、浦上の兄弟姉妹の愛でした。無一文になった彼らは、自分達のために奔走するのではなく、命懸けで被爆者達の治療に当たった永井博士のために家を建てたのです。

 

 彼らは、すべてを失った現状で、毎週集まり、神への礼拝を怠りませんでした。そして、愛する永井兄弟のために心一つとなって、如己堂を立てたのです。

 目に見えるすべてを失った彼らを支えたのは、神の愛でした。彼らのうちにある愛でした。

 

 どん底に落ちて絶望し、虚無感にうずくまっている人々の中で、彼らは光を持っていました。原爆の威力をもってしても破壊されることのない、神の愛です。

 

 神が存在しているならば、こんな悲惨なことが許されるはずがない、と思うのが、人間の反応です。でも、神の子イエスを信じる彼らは、嘆きを希望に変えました。被爆者達が被爆地で神を礼拝しました。これは、日本で起こったことです。

 

 どん底まで落ちた時、そこにあった神の御手、大地を体験したのです。底知れぬ穴ではありませんでした。留める大地がありました。その大地はすべてを知り、すべてを受け止め、人の存在そのものを包む大地でした。

 

 平和とは、いのちの安息です。いのちの安息は、神の中にありました。たとい世界が滅びようとも、私達を生かしてくださる神がおられることを、どん底に落ちた時、はっきりと知るのです。

 

 私達が生きているのではない。生かしてくださる神によって、神の愛を受けて、この地上に存在させていただくのです。

 

 今、狭い如己堂を思い出して、思います。人に必要なのはわずかなのだ。二畳一間で十分事足りるのだ。大切なのは、生かしてくださる神を知り、神の愛に感謝して、神の中に留まることなのだ。神の愛は、神の御手を広げて大地を造り、底知れぬ穴から守ってくださる。

 

 神への感謝は尽きません。