王子の婚礼のたとえ話が、マタイ22章に書かれています。
天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。そのとき、王はしもべたちに言った。「宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。」
神が、神の民イスラエルに神のひとり子イエスを遣わされました。イスラエルを神の御国に招くためです。しかし、イスラエルはイエスを気にもかけず、神のひとり子イエスを神からの人であることを認めず、拒絶しました。
神は、イスラエルに何世代にもわたって、神から遣わされるメシアの到来を語っておられました。しかし、イスラエルは、その時に備えられていませんでした。
この世の事にどっぷりと浸かっていたイスラエルは、神の御国のことよりも、この世の栄えに思いが向けられていたのです。イスラエルは、目の前に天の王子、神のひとり子イエスが来られているのに、わかりませんでした。彼らの霊の目は閉じており、御国の栄光を求めることが出来ませんでした。イスラエルは、イエスの価値を見出すことが出来ずに、軽んじました。イスラエルは、自分たちで、自分たちは御国に相応しい者ではないとしたのです。
御自分のひとり子イエスを遣わされた神は、怒りました。御自分の民と思って、イスラエルを御子の国、天の御国に招待しておいたのに、来たがらなかったからです。
神は、御子イエスがわかるようにと、事細やかにメシアの預言を与えていたのです。そのメシア預言通りにイエスは来られたのです。しかし、イスラエルは、イエスを退けました。
招待しておいたイスラエルの客席はたくさん空いたままです。王はしもべたちに言いました。「大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。」それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。
地上の千年王国が、この宴会場のような場所ではないのかと思います。永遠のいのちを求めている人たち、祝福を求める人たち、天国を夢見る人たち、平和を求めている人たち、幸せを求めている人たち、愛を求めている人たち、自由を求めている人たち、良い世界を求めている人たち、楽しく生きることを求めている人たち、健やかに長生きすることを求めている人たち、色んな人々が招かれました。神との契約のない無割礼(神の選びの民イスラエルにとっての異邦人)の人々です。
何が何だかわからないまま、多くの人々が招き入れられるまま入って来ます。しかし、一つ条件がありました。披露宴の主役である王子、神のひとり子イエスが用意された礼服を着なければなりません。招待してくださる方は、創造主です。
神のひとり子イエス・キリストの結婚の披露宴です。イエスは、御霊の教会と結婚されたのです。花嫁は、神の子羊イエスの贖いの血ですすがれ聖とされた御霊の新しい創造です。
披露宴に招かれた者は、御霊にある霊的な披露宴に相応しく、キリストの贖いの血で罪をすすいだ聖なる礼服を着なければなりません。罪ある肉のままで披露宴に参加することは出来ないのです。自分の罪を告白し、キリストの贖いの血を受けて、イスラエルの王(イエス・キリスト)を祝福する新しい心が必要です。
千年王国には、多くの人々が招待されます。地上を治めるイスラエルの王の結婚の披露宴に招待される者は多いです。
「王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。
そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。」(マタイ22:11-13 )
千年王国に入る人は多いですが、イスラエルの王の都に入る人は、いのちの書に名前の記された人々です。
御国に招待されていたイスラエルの多くが、招待を拒みました。そこで、王は、「宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった」と言い、大通りにいる、選びの外にいた人々を集めました。それで、招待されていなかったイスラエル以外の人々が多く、千年王国に招き入れられました。
王子の披露宴は、天の御国の集いです。キリストが治められる地上の王国の中で、天上の神の御国に入る人々が王のもとに集められます。
招待されていたイスラエルの多くのユダヤ人が、神が遣わされたイエス・キリストを信じないで、御国から締め出されました。それで、救いが異邦人に及びました。
多くの異邦人が、主イエスの御名を信じて、御国に招待されました。
招待されていたイエス・キリストの民のうちの多くのクリスチャンが、神が遣わされた真理の御霊を受け入れないで、御国から締め出されます。それで、救いが大通りの人々に向けられました。
招待された大通りの人々の中にも、イエス・キリストの贖いの血の聖めを無視して、御国の集いから締め出される人がいます。
「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」(マタイ22:14)
キリストが治められる千年王国の世界に入る人は多くいます。イスラエルもクリスチャンも異邦人もいます。しかし、この世界は地上の国です。千年王国は、キリスト王国の王、イスラエルの王を主権者とする諸国からなる世界です。千年王国がそのまま、天上の御国に入るわけではありません。
千年王国に入った者は、神の御国を見、味わいます。しかし、神の御国に入るわけではありません。イエス・キリストの贖いの血を信じた者が婚礼の礼服を着た者であり、永遠のいのちを与えられた者です。彼らは、門を通って都に入ることが許された者であり、神の御国に入る人々です。
婚礼の礼服を着ないで、都に入ろうとする者は、神と神の国を汚す者であり、神の怒りを買って、永遠に罪ある者とされます。
神の御国に入る者は、七つの御霊の教会、キリストの花嫁であり、婚礼に招かれた者であり、披露宴に招かれる者です。
神の御国に招待される者は多くいましたが、選ばれる者は少ないのです。