ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の国を証するイエスの弟子(神の子)

 

 神の御子主イエス・キリストの御名の権威を与えられた弟子たちは、主イエスの名によって祈ります。その祈りは、父のもとに届きます。

 

 イエスご自身が約束しておられます。

 「わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。

 あなたがたが、わたしの名によって何かを求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(ヨハネ14:13,14)

 

 また、「わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。」とも、言われています。(ヨハネ14:12)

 

 イエスを信じる者は、イエスが行なわれた父のわざを行なう、と言われているのです。イエスの語られたことばは、イエスが自分から話したことばではありません。イエスのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。

 

 イエスが父におり、父がイエスにおられるのです。イエスが行なわれたわざは、父のわざでした。イエスの行なっているわざは、父がイエスに成し遂げさせようとしてお与えになったわざでした。そして、そのわざによって、父がイエスを遣わしたことを証言していました。

 

 父とは、天の神、全知全能の創造主であり、宇宙を統べ治められる全能者のことです。イエスは、父のわざによって、神の国を現わし、神の栄光を現わされたのです。地上の人々は、イエスのことばやイエスのわざに神を見たのです。

 

 それは、多くの預言者や義人たちが、イエスの弟子たちの見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、イエスの弟子たちの聞いていることを聞きたいと、切に願ったのに聞けなかった、神の国のわざです。

 

 預言者たちは、神が遣わされる聖者のことを聞いていました。しかし、彼らの時代に聖者のことばを聞くことも、聖者のわざを見ることもできませんでした。義人たちは、神の訪れを待っていました。しかし、彼らもまた、神に遣わされたキリストを見ることがありませんでした。

 

 弟子たちは、預言者や義人たち、先祖が待ち望んでいたキリストとともに歩み、ともに生活しました。そして、イエスに、父のわざを見たのです。また、父のことばを聞き、神の国を見て、神の国を味わったのです。

 

 イエスは、弟子たちに、天の御国の奥義を示されました。イエスは、その愛を残ることなく、弟子たちに示されたのです。ご自分が、父から出て、世に来、もう一度、世を去って父のみもとに行くことを告げられました。

 

 弟子たちはイエスに言いました。「ああ、今あなたははっきりとお話しになって、何一つたとえ話はなさいません。いま私たちは、あなたにお尋ねする必要がないことがわかりました。これで、私たちはあなたが神から来られたことを信じます。」(ヨハネ16:29,30)

 

 弟子たちは、イエスが墓から甦り、栄光のからだで天に上られた後に、キリストから、聖霊のバプテスマを受けました。イエスが、「もうひとりの助け主」と呼ばれた、真理の御霊を受けたのです。

 

 父がイエス・キリストの名によってお遣わしになる聖霊は、御霊を受けた者に、すべてのことを教え、また、イエスのことばを思い起こさせてくださいます。

 

 イエスを愛する人は、イエスのことばを守ります。そうすれば、父はその人を愛し、父もイエスもその人のところに来て、御霊とともに、その人のうちに住まわれるのです。

 

 世は、真理の御霊を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。肉なる者に、御霊を知ることはできません。肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えます。肉の思いは死です。肉の思いは神に対して反抗するものであり、神のことばに服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。

 

 イエスの弟子たちは、真理の御霊を知っています。その方はイエスの弟子たちとともに住み、彼らのうちにおられるからです。キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。何故なら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、彼らを解放したからです。

 

 肉に従って歩まず、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。御霊の思いは、いのちと平安です。

 

 神の御霊に導かれる人は、誰でも神の子どもです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。神の子としてくださる御霊を受けた人は、御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。神の子どもであることは、御霊ご自身が、その人の霊とともに、証してくださいます。

 

 神は、世界の基の置かれる前からキリストのうちに選んだ者を、イエス・キリストによって御自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。神は、あらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認められた人々にはさらに栄光をお与えになります。

 

 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださいます。何故なら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子イエスが多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。(ローマ8:28ー30)

 

 イエスの弟子は、神の国を生きたイエスにならって、御霊によって、神の国の平安と喜びを体験します。望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励む者として、神の御国を証する者です。