ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

預言成就の時代

 

 「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。

 おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。再びあなたはサマリヤの山々にぶどう畑を作り、植える者たちは植えて、その実を食べることができる。

 エフライムの山では見張る者たちが、『さあ、シオンに上って、私たちの神、主のもとに行こう。』と呼ばわる日が来るからだ。」

 

 まことに主はこう仰せられる。

 「ヤコブのために喜び歌え。国々のかしらのために叫べ。告げ知らせ、賛美して、言え。

 『主よ。あなたの民を救ってください。イスラエルの残りの者を。』

 見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中にはめしいも足なえも、妊婦も産婦も共にいる。

 彼らは大集団をなして、ここに帰る。彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。

 わたしはイスラエルの父となろう。エフライムはわたしの長子だから。」(エレミヤ書31:3-9)

 

 

 エレミヤの預言の成就の時です。ウクライナ状況の中で、神は、御自分の民(ユダヤ人)をイスラエルの地に連れ戻しておられます。約二千六百年前に、現在起こっていることが預言されていたのです。バビロン捕囚の頃です。

 

 神は、アブラハムを選び、彼の子イサクの子孫にユダヤ民族を造られました。神はユダヤ民族と契約を結び、御自分の民イスラエルとされたのです。そして、御自身をイスラエルの神と名乗られました。

 

 神のひとり子イエスが父に従ったように、イスラエルも自分たちの神を知り、イスラエルの神のみことばに忠実であることを望まれました。

 

 モーセを通してイスラエルに、神に従う祝福の道と、神に従わない呪いの道を語っておられました。また、多くの預言者を立て、メシアについて語っておられました。

 

 イスラエルは、王たちも民も悪いものとなり、厳しい預言が繰り返されました。しかし、王も民も聞こうとはせず、神に逆らい続けました。神の預言者に立ち向かい、偽りの預言で王たちを惑わす者も現われました。

 

 怒った神は、北イスラエル王国の十部族をアッシリアに渡し、南ユダ王国の二部族をバビロンに渡されました。ソロモン王の時、ひとつのイスラエル王国だったのが、ソロモン王の不義(外国の女たちをめとって、その女の神々を拝む者となった)によって、ソロモンの子の時代に二つに分裂されました。神が、北イスラエル王国と南ユダ王国に引き裂かれたのでした。

 

 分裂した後、北イスラエル王国はダビデの家に逆らい、自分勝手な道に歩んでいました。それで、アッシリアに捕囚され、その後は世界に離散しました。北イスラエル王国のわざわいを知りながら、南ユダ王国は悔い改めることなく、神と神の預言者に逆らい、背信の罪で、バビロンに捕囚されました。

 

 しかし、神はバビロン捕囚の時を七十年と定めておられました。南ユダ王国の人々は神殿の崩壊を知り、嘆きました。バビロンは大いに栄えた帝国です。ユダヤ人たちは人間の造った繁栄を見、偶像崇拝の盛んな地に置かれて、目が覚めました。ユダヤ人にはイスラエルの神がおられるではないか。偶像の神々にまさる全能者、偉大なる神こそ礼拝されるべきお方であるとわかったのです。

 

 神殿を失ったユダヤ人は、神殿での儀式ではなく、モーセに与えられた律法を重んじるようになりました。彼らは、律法の民、生ける神の契約の民としての自覚を持ったのでした。偶像の地に置かれて、ユダヤ民族のアイデンティティーが確立しました。

 

 七十年が経つと、神は彼らをイスラエルの地に帰されました。バビロン捕囚から帰還したのです。アッシリアに捕囚された北イスラエルには、帰還する約束はありませんでした。しかし、ダビデの子孫のいる南ユダには、神の目的がありました。彼らからメシアを生む預言の成就です。

 

 彼らは、メシアを生む国民として、イスラエルの地に戻されたのです。そして、イスラエルのベツレヘムで、ダビデの子孫ヨセフのもとに、神のひとり子イエスがお生まれになりました。

 

 バビロン捕囚の地で、ユダヤ人の心が覚醒したのに、また、イスラエルの地で、ユダヤ人は背信の罪を犯しました。バビロン捕囚から帰還したユダヤ人は、律法を守ることに熱心でした。先祖のように、偶像を造ったり、偶像を拝んだりはしません。律法に忠実な民となったのです。

 

 律法の民ユダヤ民族に、イエス・キリストが降誕されました。しかし、律法によって思いに覆いが掛けられた彼らには、生ける神を知ることができませんでした。ナザレのイエスをメシアとして信じることができませんでした。それで、神は十部族を世界に散らされたように、二部族も世界に散らされました。

 

 ユダヤ人は、モーセの警告した呪いの道を選びました。ユダヤ人は神の民であり続けなければならないのです。神が遣わされた神の御子キリストを信じなかった彼らは国を失い、他国の寄留者となりました。

 

 しかし、神は永遠の愛をもって愛し、誠実を尽くし続けられるのです。イスラエルの再び建て直されるときが来ることを約束しておられました。ユダヤ人が、「私たちの神、主のもとに行こう。」と言うのです。彼らは、離散した異国の地からイスラエルの地に帰って来ます。

 

 離散してから約千九百年ほどして、イスラエルの国が建国され、世界中からユダヤ人が帰還しています。多国籍、多言語のアブラハム、イサク、ヤコブの子孫が、先祖の地に帰還し、ヘブライ語で生活しています。

 

 いま、神は、彼らを北の国から連れ出されています。神は、地の果てから彼らを集める、と約束しておられるからです。帰還者はひとりふたりではありません。群れをなして帰還しているのです。

 

 神は、終わりの時代に彼らを集め、彼らの信仰を回復されます。彼らは、イスラエルの神に忠実な者となるのです。彼らは、「主よ。来たりませ。」とメシア(復活のキリスト)を呼び求め、迎える民です。ナザレのイエスが、神の御子メシアであることがわかる時、彼らは悔い改めと、栄えに満ちた喜びに満たされることでしょう。

 

 キリストを生むために、ユダヤ人を捕囚の地バビロンから帰還させられたように、メシア(復活のキリスト)を迎えるために、世界に離散したユダヤ人を、いま、神はイスラエルの地に集めておられるのです。