ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

1%の祈り

 

 日本人のクリスチャンは、日本の人口の1%しかいないと言われて久しいです。

 いのちのことば社という出版社が随分前から刊行している月刊誌で「百万人の福音」という刊行物があります。

 

 1億人以上いる日本人に、百万人はないだろう。どうして10%の千万人にしなかったのだろうと思っていましたが、長い間、確かに百万人もいませんでした。しかし、キリスト教会に在籍していないけれども、キリスト信仰を持つ人を含めるともっと多いのかも知れません。

 

 現在は、二百万人近くまで増えているようですが、聖霊のバプテスマを受けて、永遠のいのちを得る備えのある人は、やはり、百万人くらいなのでしょうか。

 

 ユダヤ人も1%くらいだと言われてました。ユダヤ人の多くは、ユダヤ教徒なのです。

 

 クリスチャンは、ユダヤ教徒にならずとも、ユダヤ人から出た救世主イエス・キリストを信じることで、ユダヤ人に約束されていた、神に遣わされた救世主(キリスト)による御救いを得ました。

 

 そのように、終わりの時代、キリスト教徒にならずとも、救世主イエス・キリストの授けられる真理の御霊を受けて、神の御救いを受ける日本人が多く起こるでしょう。

 

 イエス・キリストの御名により父なる神から授けられる「真理の御霊」は、求めなければ得られません。

 義に飢え渇き、正しい道を追求し、真理(魂を救ってくださる真実なもの)を切に求めるならば、神が、真理を教え知らされる「真理の御霊(神の霊)」を注いでくださるのでしょう。

 

 真理の御霊は、死から甦り天に上られた神の子羊イエス・キリストの権威によって注がれる、生かす御霊です。永遠のいのちを得させるお方です。

 

 天から遣わされた「生かす御霊」は、いのちを与える神の聖霊です。

 世の終わりには、多くの霊が働き、惑わします。霊であるからといって、すべてのものを信じて従うことは危険です。

 

 イエスの愛された弟子ヨハネは言います。

 「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、偽預言者がたくさん世に出て来たからです。

 人(肉体を持つ人の子)となって来たイエス・キリストを(神が遣わされた救い主、神の御子であると)告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。

 イエスを告白しない霊(神の御子イエス・キリストが唯一の救い主であることを告げない霊)はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。(神の御子イエスを否定する者で、天から追放された霊であり、エバを騙しアダムを惑わした蛇のように、いのちの神から引き離す、堕天使の霊です。)あなたがたはそれが来ること(神の道を外させる反キリストの霊が聖徒たちを惑わすために働くこと)を聞いていたのですが、今それ(惑わしの霊)が世に来ているのです。」(ヨハネ第一4:1-3)

 

 救い主イエス・キリストは聖なる霊的な存在であって、朽ちて行く人間とは異なる特別な聖人であることを強調し過ぎて、イエス・キリストが人ではなく、天から来られた神のひとり子であり罪のない聖人であることを主張して罪人を救うために罪人と同じ肉体を持つ人として来られたことを否定するならば、それは、神から出た教えではないとあります。

 

 イエスを、聖なるお方として聖人視する人々は、度を越して、神の御子イエスが人となって来られたことを否定する誘惑に陥るのです。

 

 また、天使は神の子であり、堕天使たちもまた、自分たちを「神の子である。」と名乗ることでしょう。

 聖書は、人となって来られた神の子羊イエス・キリストの流された血によって、罪人の罪が贖われて赦され、また、キリストの御名によって与えられる「生かす御霊」によっていのちを得、御霊によって新しい創造を受けた人々が、神の子どもとされ、天の御国にはいることを約束しています。

 

 聖書のみことばは、神のことばであって、神の約束です。神のことばは真実で、必ず成就します。

 

 神はアダムに、「善悪を知る知識の木から取って食べてはならない。取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と仰せられました。

 しかし、神に敵対する悪魔は、人に、「善悪を知る知識の木の実を食べても決して死なない。」と偽りのことばを語り、惑わしました。

 

 人は、蛇の語る、自分に都合の良いことばに心がとらわれて、神の命令を軽んじました。人は、神に敵対する蛇の言葉を信じて、自分の目に慕わしく好ましいと思う禁断の実を取って食べ、神のことばどおり、死ぬ者となりました。

 

 蛇は「決して死なない。」と偽りを言いました。悪魔は、騙す者で、偽り者なのです。蛇の言葉に従った人は、自分で責任を取らなければなりません。

 悪魔は決して、責任を取りません。悪魔の思いは、人を滅びに向かわせて、死に閉じ込めることなのです。

 

 神は「必ず死ぬ。」と言い、悪魔は「決して死なない。」と言いました。果たして、どちらが真実を語っていたのでしょうか。

 

 パウロは言います。

 「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私(パウロ)はおごそかに命じます。(裁き主であられるイエス・キリストの御前で、また再び、復活のキリストが地上に来られることと、キリストが治められる千年王国の訪れを信じて待ち望むパウロは、信仰の確信をもって神を恐れ、おごそかに命じます。)

 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず(御霊が思い起こさせてくださるイエスのことばを)教えながら、(罪の中にいる者を)責め、(あやまちを)戒め、また(悔い改めて正しい道〈いのちの道〉に歩むことを)勧めなさい。

 というのは、人々が健全な(御霊の)教えに耳を貸そうともせず、(自分の肉を満足させることを願い)自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって(神に背を向けて)、次々に(興味をそそる珍しいこと、耳新しいことを語る)教師たちを自分のために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」(テモテ第ニ4:1-4)

 

 今は終わりの時代です。使徒たちの警告どおり、キリストの血に贖われてない者たち(イエス・キリストを信じていない者たち)に、「私たちはみな、神の子である。」と、キリストの福音をむなしくする教えを広める教師たちが満ちています。

 

 彼らは、神の御子イエス・キリストの御名を告白しません。真理(永遠のいのち)を求める人は、聖書のみことばに立ち返りましょう。

 「イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。」(ヨハネ第一4:3)

 

 偽りの霊が蔓延する世に、真理(本当の御救い)をさし示すことのできるのは、イエス・キリストの御名を告白する者たちです。

 

 日本列島を贖うのは、天地万物を創造された神の御子イエス・キリストの御名によるのであり、神の子羊キリストの血によるのです。

 日本列島がキリストの血潮でおおわれ、神の子どもたちが目覚めるように祈りましょう。

 

 ひとりひとりの聖霊の器は、それぞれ置かれた場所において、その地域のために祈る祭司の役割を担いましょう。

 

 主の預言者エリヤはひとりで、バアルの預言者四百五十人と四百人のアシェラの預言者と戦い、勝利しました。

 すなわち、バアルの預言者が四百五十人で、たきぎの上の雄牛に火が下るように、バアルの名を呼んで朝から真昼まで祭壇のあたりを踊り回りました。剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけ、大声で呼ばわり、騒ぎ立てましたが、答える者はありませんでした。

 しかし、主の預言者エリヤは、たきぎにと雄牛に、また祭壇に四つのかめの水で満たし、アブラハム、イサク、イスラエルの神の御名を呼び、主に祈りました。すると、主の火が天から降って来て、全焼の生贄の雄牛とたきぎと石とちりとを焼き尽くし、水もなめ尽くしました。

 

 「(主に信頼する)義人(贖われた者)の祈りは働くと大きな力があります。」(ヤコブ5:16)

 

 神は、イスラエルをミデヤン人の手から救うためにギデオンを遣わされました。

 主は、「イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、わたし(主)に向かって誇るといけない。」と仰せられ、ギデオンとともに行く民のうち二万二千人を帰され、一万人が残りました。

 すると、主は「民はまだ多すぎる。」と仰せられて、神の試みに合格した三百人だけを残されました。

 

 ギデオンは残された三百人の民とともに戦いに出て、ミデヤン人に勝利したのです。主の民にとって、人数は関係ありません。

 人数が少ないほど、神の栄光が現わされ、その御力は神の誉れとなるのです。

 

 日本のクリスチャンの数は少ないです。

 しかし、御霊によって、日本の贖いと、日本人の御救いを執り成すならば、勝利の主が、御自身の御力を現わされることでしょう。

 

 自分の祈りは小さくて力がないと思ってはなりません。私たちひとりひとりは弱くても、キリストの御霊に力があり、強いのです。

 

 御救いを受けた私たちは、御救いを与えることができるのです。私たちのうちに、生かす御霊がおられるからです。

 

 御霊を受けた私たちは、天の父なる神を「アバ、父。」と呼ぶ御霊によって、天の神の御前に出て祈ることができるからです。