ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

買い戻された魂

 

 ルツ記2-4章には、買い戻しの権利のある親戚ボアズが、身内の故エリメレクの畑をエリメレクの妻ナオミから買い戻したことが書かれています。

 イスラエル十二部族は、神が割り当てたそれぞれの土地を所有していました。部族の土地を他の部族の土地にすることはできません。部族に割り当てられた土地をその部族の者が所有するようにと、神に命じられています。

 土地を売る時も、部族内で行われました。しかも、親類間でなされるのです。買い戻しの権利のある親戚に買い取ってもらうのです。

 

 買い戻しとは、買い戻す権利のある者に任された行為です。買い戻しの権利を持たない者は、買い戻しの特権を有しません。

 

 人は創造主であるまことの神が造られた、神の所有の被造物です。しかし、神に反逆し敵対する悪魔が、柔らかな言葉で人を誘惑し、神への従順を裏切りへと導きました。

 光は、一糸乱れぬ調和のとれた秩序の保たれる世界です。人は、神への従順にしみをつけました。光を汚したのです。光に汚れは存在できません。汚れは聖なる神にふさわしくありません。

 

 神は、しみとなった人を光から追放されました。しみは、神の栄光を正しく現わすことができません。人は、神の栄光の輝きにふさわしくない者となってしまいました。しみは、悪魔のものです。神のものと悪魔のものには一致はなく、相反するものです。

 

 光から追放された人は、悪魔が支配する闇に入りました。人は、闇に覆われました。闇に生きる者の永遠の住まいは、永遠に燃え盛る火の池です。悪魔のために用意されたゲヘナです。

 

 悪魔は人の魂を、創造主である神から奪い取ったのです。言葉によって人を騙し、言葉によって闇に引き寄せ捕らえました。

 

 さて、神の所有であった人の魂を買い戻す権利のある方が、ただひとりおられました。人を造られた神です。人を造らなかった神々には、買い戻す権利がありません。地上の神々には、魂を悪魔から買い戻すことができません。

 

 買い戻すということは、代価が必要です。霊の存在の神と悪魔との間に、物質世界の貨幣は存在しません。お金で買い戻すのではありません。

 

 魂を買い戻すためには、いのちが必要でした。悪魔は、偽りの言葉で神から人を奪いました。それでは、神もことばをもって悪魔から取り戻せばよいのではないでしょうか。

 

 しかし、悪魔の奴隷となった人は、悪魔の言葉でがんじがらめにされています。悪魔は、人に偽りの光を見させて、まことの光をわからなくさせています。

 悪魔は、神が人を造られたことを知っています。また、人は神を知る霊的なものとして造られていることも知っています。

 それゆえ、悪魔は、霊的な存在の肉の人に偽りの神々を与えて、まことの神に思いが向けられることを押し止めています。神を求める乾いた魂に神に似た存在を造らせて、偽りの神々で地を満たしました。

 

 多くの人は、偽りの神々に向かいます。そして、その神々を拝み崇めるのです。

 

 しかし、神々を渡り歩き、ますます飢え乾く人もいます。そして、その魂は、目に見える現象ではなく、目に見えない霊なる存在に思いを向けます。人に教えられたのではなく、その人の霊のうちに微かな光が差し込み、天の神に信仰を持つ者も起こされました。アブラハムです。

 

 神は、自分の心に偽ることなく、真実なものを慕い求める正しい心の人アブラハムを見出されました。

 アブラハムは、霊なるまことの神からことばを受ける者でした。

 

 悪魔は、なめらかな言葉によって、人を神のことばから外して捕らえました。神もことばによって、悪魔から人を取り戻されるのでしょうか。

 

 悪魔の支配下にある人は、悪魔の言葉にがんじがらめにされています。神のことばを与えても、すぐに悪魔の言葉がそれを否定し、あざ笑い、むなしいものとします。

 

 神は、悪魔の策略をよく知るお方です。知恵をもってアブラハムを導かれました。

 神はアブラハムに神のことばを与え、それを契約とされました。アブラハムは、神から契約のことばを受けました。アブラハムには、神の契約のことばを信じそれを握る信仰がありました。

 

 神は、アブラハムにまず、この信仰を置かれました。神は契約のことばを信じる信仰を、アブラハム、イサク、ヤコブと継承され、ついに、ヤコブの子イスラエル十二部族(ユダヤ民族)に民族の契約を与えて、イスラエルを神の民とされたのです。

 

 イスラエルは、まことの神のことばを握る唯一の民族です。神は、イスラエルに神のことばを与え、「聖書」を与えられました。

 神は、イスラエルに、神のことばを民に告げる預言者を立てて、預言の成就によって、民を導かれました。

 

 イスラエルに、全知全能の神がメシア(主キリスト)を遣わすことを約束しておられました。イスラエルは、それを信じメシアを待ち望みました。神は、イスラエルに、メシアを待ち望む信仰を与えられたのです。

 いよいよその時が来ました。神は、イスラエルに神のひとり子を遣わされました。神は、肉体を持つ人の子として御子をイスラエルの女から生まれさせました。

 

 神がイスラエルに遣わされた神の子羊イエスは、悪魔に奪い取られた魂を買い戻すための買い戻しの権利を持つ神の御子です。

 

 神は買い戻しのために、神のことばの成就という方法を使われました。悪魔は、惑わす言葉で人を虜にしました。神は、悪魔と同じ方法は取られません。

 神は、人にまず神のことばを与え、そのことばの成就によってイスラエルの信仰を育てられました。そして、イスラエルは、メシアを待ち望む信仰の実を結んだのです。

 

 神は、イスラエルのメシア待望の信仰によって、神の御子イエスをベツレヘムに生まれさせました。

 神の子羊イエスは、神のことば(預言)どおりに生まれ、神のことばどおりに十字架にかかり、神のことばどおりに死から復活し天に上られました。

 

 神は、悪魔に奪われた魂を御子イエス・キリストの贖いの血で買い戻されました。

 悪魔は、しみのある者が光に帰ることができないことを知っています。神の御子はご自分の血によって人のしみ(罪)を取り除かれました。神のことばによって、罪を取り除かれたのではありません。神のことば(預言)の成就として、神の贖いの子羊イエスの血によって、人の罪を聖め罪のないものとされたのです。

 神の御子は神のことばです。その意味では、神のことばによって人を買い戻したと言うこともできるでしょう。

 

 人の魂を買い戻す権利を持つ神の御子イエスが、ご自分の血(命)という代価を払って、悪魔に捕らえられていた魂を買い戻されました。

 人は、神の御子の命の犠牲によって、買い戻されたのです。悪魔は、買い戻された魂を自分のものだと主張することはできません。

 キリストの血によって買い戻された魂は、神の所有なのです。悪魔に権利はありません。悪魔もそのことを認めざるを得ません。

 

 しかし、悪魔はあきらめません。隙あらば、アダムを騙したように、神の所有となった魂に真理と間違うような言葉を用意して、もう一度捕らえようとします。

 それで、神は、子羊イエスの血によって買い戻された魂に、キリストの御霊(聖霊)を与えて、悪魔にその機会を与えないように守られます。それゆえ、聖霊を受けてキリストの御霊とともにいることはとても大切なことです。

 神は、イエスの血で魂を買い戻しただけではなくて、買い戻した魂を守るために、助け主である真理の御霊を遣わしてくださるのです。聖霊(キリストの御霊)は、天の御国に入るいのちの道を歩むために不可欠な助け主です。御霊がおられなければ、真理を選ぶことができないのです。悪魔は実に巧妙だからです。

 

 イスラエルが奴隷の家エジプトを脱出するとき、子羊の血によってエジプトと区別され裁きが免れました。しかし、約束のカナンの地に入ったのは、羊の血で裁きを免れた成人男子六十万人のうち、カレブとヨシュアのたったの二人であったことを思い出しましょう。カナンの地に入った二人は、神のことばを信じ続ける信仰の人でした。

 

 子羊イエスの血で買い戻された魂のうち、天の御国に入るのは、神のことばを信じて聖霊を受け、御霊によって新しい創造を受けた人々です。

 御霊の教会の人々は、魂を買い戻された神の御計画のうちにあり、神を喜ばせ神を満足させる信仰の勝利者たちです。