ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神のことばとひとつ

 

 「(天地万物を創造された)初めに、ことば(神の御子)があった。ことば(御子)は神(父)とともにあった。ことば(神のひとり子)は神(神格者)であった。

 この方(神のことばであられる神の御子は神格者であって御使いではない。)は、初めに神とともにおられた。(神のひとり子イエス・キリストは、肉体を持つ人の子として地上に遣わされる以前から、また、人が造られる以前から、そして、天地万物が造られる以前から、すなわち永遠の昔から神とともにおられました。)

 すべてのものは、この方(神のことば)によって造られた。造られたもので、この方(永遠の昔からおられる神のひとり子、すなわち、神のことば)によらずにできたものは一つもない。

 この方(神のひとり子)にいのち(罪も暗いところも無いいのち)があった。このいのち(永遠に生きるいのち)は人の光(死と滅びに定まった闇の世から救い出してくださる救世主であり、永遠のいのちの希望)であった。

 光(死から甦り永遠に生きる神のひとり子のいのち)は闇(罪と滅びの世)の中に輝いている。(闇に勝利した神のひとり子の御名は、唯一の御救い、すなわち永遠のいのちの福音として、この世に輝いています。それは、イエス・キリストの御名にまことの御救いがあり、異邦人に救いを知らせる啓示の光、聖書の民に真理を悟らせる真理の光だからです。)闇(人を死と滅びに定めた罪の呪い)はこれに打ち勝たなかった。(別訳では「しかし、闇はこれを悟らなかった。」)」(ヨハネ1:1-5)

 

 十字架で血を流して世の罪を取り除き、死から甦って復活する「人の子」となって来られた神のひとり子は、罪を贖う神の子羊〈世の罪の身代わりとして屠られる神の生贄の子羊〉の姿となって、闇を破られました。

 

 この世の闇を破り、永遠の光(まことの天のいのち)の輝きを現わされました。

 この世の闇は、いのちの根源であられる神から外れた的外れな状態です。的外れな者は正しい場所(天の御国)に行き着くことができません。

 人は神によって造られたのに、造られた方を知ろうとしません。そして、造らなかったものを自分の神として祀り、神の怒りの対象となりました。まことの神(光)から外れた罪人は、闇を愛します。

 

 闇を愛しながら、「人は何故死ぬのか。」「生老病死の苦しみから解放されるにはどうしたら良いのか。」と悩みます。

 コンセントをさし忘れていながら、電化製品の電源を入れても動かないのは何故か、故障してしまったのか、と考え込むのと似ています。

 

 いのちの根源(神のことば)から外れているので、いのちの働きがないのです。いのち(神のことば)に繋がっていないので、いのちの本来持っていた光の機能が働かないのです。あるのは朽ちる肉体と永遠の死です。

 

 人間は、居るべき場所に居らずして、良い結果を望んでいます。神から外れた状態で神の祝福を願っています。自分の成すべきことをせずに、良い報酬を求めています。

 

 この世の闇(神への背信の罪)を愛しながら、神の力と神の知恵を欲しがります。それは、闇の王が、悪魔だからです。悪魔は、自分の意志で神に反逆し神より高くなろうと神に敵対する罪あるもののかしらです。

 罪は、悪魔から始まっています。悪魔の惑わしがなければ、人は神のことばから外れることはありませんでした。罪は、反逆の天使長から始まったのです。

 

 悪魔にそそのかされた人の罪は、その子孫に受け継がれています。それゆえ、人類はみな罪人なのです。罪人のかしらは堕天使長、すなわち悪魔です。

 悪魔の支配下に置かれた人類は、悪魔のことば(蛇の言葉)によって生まれた不義の子です。悪魔の性質を持つ悪魔の子となってしまいました。

 

 罪人の父は悪魔です。人間は罪の子です。闇の子らです。罪の報酬は死です。それゆえ、罪人はみな死にます。罪は、永遠に生きておられる神に背を向けさせ、真理を憎みます。聖なる神は、それらの不義を滅ぼされます。

 

 闇は、罪人を飲み込みます。罪は、いのちあるものを死によって滅ぼします。人間は悪魔のことばと結びつき、神に背く悪魔のことばのうちにあって、神が下される悪魔のさばきをともに受けることとなります。

 

 悪魔の子らの中で、闇を憎み、光を求める者を、神は救い出されます。神のことばは救いです。

 神は、悪魔のことば(蛇の言葉)によって神のことば(神のひとり子)から外れた人のために罪の贖いの神の子羊を遣わされました。神は、神のことばから外れた罪人の罪を、神の子羊の贖いの血によって赦し、和解されます。

 

 神は、神の子羊の贖いの血によって、闇でうめく魂を悪魔の手から買い戻してくださいました。神は、悪魔を父とし悪魔のことばの中にいて悪魔の性質を帯びた罪人を、子羊の血で買い戻して、御自身の養子とされるのです。

 

 神は、神のことば(神のひとり子)から外れて神の永遠のいのちから外れた罪人たちのところに、神のひとり子を人の子として遣わし、神のことばを与えられました。

 神に買い戻される魂は、人の子として現われた神のことば(神のひとり子イエス・キリスト)に信仰によって繋がります。

 神の御子イエス・キリストに繋がる者は、神のことばと繋がる者です。神のことばと繋がる者は、神に繋がる者です。もはや、神のことばから外れ的外れな役に立たない者ではありません。

 

 神のことばと繋がる者に、神は「助け主」を遣わされます。肉の人が肉の性質で生きることがないように、イエスのことばを思い起こさせて、永遠の真理を教える真理の御霊です。

 真理の御霊には永遠のいのちがあります。永遠に生きるいのちです。真理の御霊は、生かす御霊です。神の子羊イエスを死から甦らせた御霊は、イエス・キリストを信じる人のうちに宿って、神の愛を知らせ、信仰と希望と愛を与えて肉の性質を殺し、キリストの性質をかたち造っていかれます。

 

 イエス・キリストは、神のひとり子であって、神が遣わされた贖いの子羊であり、罪の赦しと神との和解を完成し、イエスのことばを信じる人々に、生かす御霊を与え、闇の性質を砕いて闇の呪いを解き放ち、イエスを愛して神のことば(神のひとり子)とひとつのものに新しく造り変えてくださいます。

 

 キリスト信者が自分の力で努力して変わるのではありません。真理の御霊が真理を教え、真理を愛する者に造り変えていかれるのです。御霊による新しい創造を受けるのです。

 神の新しい創造は、養子として迎えた罪人を、神の御子イエス・キリストの兄弟、すなわち、死から甦る神の子どもとしてくださいます。

 

 イエス・キリストを信じると告白しても、神のことばとひとつにならなければ、神のことばから外れた的外れなままの古い人です。肉の人として生きる人は、聖霊の新しい創造を拒むことになります。

 生かす御霊によって生きない者は、キリストの御霊を拒む者であり、神のことば(神のひとり子イエス・キリスト)とひとつとなっていません。

 

 人は、蛇の言葉によって、神のことばから外れました。神のことばから外れたままの人は、蛇の言葉のうちに留まっているのです。蛇の言葉のうちに救いはありません。

 

 イエスのことばを信じ、イエスのことばに従う者、キリストの御霊(真理の御霊)とともに歩む者は、神のことばとひとつとなるのです。

 

 天の御国は彼らのものです。