ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

天の御国は信仰によってはいるところ

 

 多くの人は、人が亡くなると天国に行った、と表現します。

 しかし、実際は、黄泉の国、死の国にはいった、ということです。なぜならば、この後に来る千年王国(神の御子イエス・キリストが治める世界)の後で、最後の裁きがあり、その時に、天国と地獄に分けられるからです。

 

 天国とは、天の御国のことであり、永遠に生きることを許された人々の、永遠の住まいです。

 地獄とは、永遠に生きることを許されない人々の、永遠の裁きです。

 

 だれが、許したり許さなかったりするのでしょうか。それは、人の魂を造られた、永遠に生きておられる神です。

 

 神は、神の命令を守らずに罪を犯した最初の人アダムを、永遠に生きるのにふさわしくないとして、罪の報酬の死を与えられました。

 それゆえ、アダムから出た人類はみな、永遠に生きるのにふさわしくない状態で生まれて来ました。

 

 しかし、死と裁きが定められた罪人の中でも、神を恐れ神に忠実な正しい者が、時々現れました。

 神は、神とともに歩み、神に喜ばれたエノクを生きたまま天に移されました。また、神を恐れるノアを、地上の大水の滅びから救い出されました。

 

 大水で汚れを一層された地球に、信仰ゆえに救い出されたノアの一家を置き、再び、神は世を営まれました。

 

 神は、ノアに約束されました。人類を大水で滅ぼした神は、もう二度と大水で滅ぼすことがないことを、契約されたのです。

 しかし、人類が悪いものとなるならば、次は、火で滅ぼすと固く誓われました。その誓いは、今も残されています。

 

 大水の滅びは、罪をきよめるためでした。

 しかし、火の滅びは、決して良いものとなることのできないものを、罪とともに永遠に裁く、リベンジのない裁きです。

 

 ノアの時代の裁きは、エデンの園の管理者として置かれた人の犯した背きの罪の裁きでした。人類は、アダムの罪ゆえに裁かれました。

 

 終わりの日に起こる、火の裁きは、すべての被造物の裁きです。ひとりひとりの罪の裁きです。

 神に敵対する悪魔と悪霊どものために造られた永遠に燃え盛る火の池悪の中に、永遠に生きることを許されないものをすべて投げ入れられます。

 それゆえ、天地万物は跡形もなく消え去ります。

 

 現在、天地万物が残されているのは、死と死後の裁きとが定まって生まれて来た人類が、神の子羊イエス・キリストの罪の贖いの血によってきよめられて永遠のいのちを得るのにふさわしい者とされるように、と御霊による「新しい創造」を受けるために設けられた、猶予期間なのです。

 

 愛と恵みと憐みの神は、ひとりでも救おうと、ひとり子(神の子羊イエス・キリスト)を、地上に遣わしてくださいました。

 神は、人類の救済のために、天から救い主を遣わしてくださったのです。そして、肉なる者を永遠に生きる新しい人に造り変えるために、もうひとりの助け主「真理の御霊」を遣わせてくださるのです。

 

 「天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、その水により、洪水におおわれて滅びました。当時(大水で滅ぼされたノアの時代)の世界は、その水(地を造り出した水)により、洪水におおわれて滅びました。

 しかし、今の天と地は、同じ(神の)みことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者ども(悪魔と悪霊どもと悪魔につく人々)の裁きと滅びとの日(世の終わり)まで、保たれているのです。」(ペテロ第ニ3:5-7)

 

 「(神の子羊の血で贖われ、永遠に生きるにふさわしいと神に認められて、永遠のいのちを得る)あなたがたは、(神の住まわれる)シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会(千年王国)に近づいているのです。

 また、天に登録されている長子たちの教会(契約の民ユダヤ人)、万民の審判者である神(最後の裁きを下される裁き主なる神)、全うされた義人たちの霊(信仰の勝利者たち)、さらに、新しい契約の仲介者イエス(聖霊のバプテスマを授ける権威を持つキリスト・イエス)、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血(神との和解を取り持つ神の子羊イエス・キリストの血による御救いの完成)に近づいています。

 語っておられる方を拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方(預言者たちのことば)を拒んだ彼ら(神との契約を持つユダヤ人たち)が処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方(神が天から遣わされた神の御子イエス・キリストのことばや、真理の御霊の啓示)に背を向ける私たち(人類)が、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。

 あのときは、その声(神の声)が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。『わたし(神)は、もう一度、地だけではなく、天も(天地万物すべての被造物を)揺り動かす。』

 この『もう一度』ということばは、決して揺り動かされるもののないもの(いのちの書に名の記された者、すなわち永遠のいのちを得る人々)が残るために、すべての造られた、揺り動かされるもの(永遠のいのちが得られず、贖われていないすべてのもの)が取り除かれることを示しています。

 こういうわけで、(神の御子が授けられる、生かす御霊を受けた)私たちは揺り動かされない御国(とこしえの天の御国)を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして(いのちの書に名が記されて永遠のいのちを受ける)私たちは、慎みと恐れをもって、(真理の御霊に助けられて)神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。

 (私たちを死と死後の裁きから救い出してくださる)私たちの神は焼き尽くす火です。」(へブル12:22-29)

 

 天国は、死んだ人が入るところであるように誤った意識がありますが、実は、神の裁きの後に、永遠のいのちを得た人々がはいるところです。

 

 人々が天国と呼ぶ「天の御国」は、死者の国ではなく、罪が贖われて永遠に生きる人々の国です。

 天の御国は、まことの生ける神(創造主であり、救い主であり、助け主であり、裁き主であられる全能の神)への信仰によってはいるところなのです。