人は、エデンの園の管理者として、神のひとり子のために造られました。
神は、ひとり子に主権をお与えになることを定められたからです。神は、神のひとり子とともに、いのちの木を生えさせたエデンの園を管理する者として、最初の人を造られました。
人は、神のひとり子(神のことば)とひとつとなって、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配する、神の被造物の管理者でした。
「神である主は、(土地の塵で人のかたちに形造り、その鼻にいのちの息を吹き込んで生きものとした)人を取り、エデンの園に置き、そこ(エデンの園)を耕させ、またそこを守らせた。」(創世記2:15)
人は、エデンの園を耕し、また、エデンの園を守る役目を、創造主であられる神からいただいた、エデンの園を管理する者でした。
エデンの園には、さまざまな植物があり、さまざまな生きものがおりました。みな、いのちあるものです。
土地を耕し、すべてのいのちが守られるように、管理することを仰せつかっていました。
「神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼(人)がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生きものにつける名は、みな、それが、その名となった。」(創世記2:19)
神の被造物のそれぞれに名前をつけたのは、人です。被造物の名は、人の感性によってつけられました。
アダムとエバの名も、人がつけたものです。
神は、罪を贖い、永遠のいのちを得させるいのちの木を置かれたエデンの園を、人の管理にゆだねられました。
罪を犯したのはだれでしょう。神に逆らう天使長ルシファーに従って天から追放された堕天使たちではありませんか。
人は、罪人ではありませんでした。
「神はお造りになったすべてのもの(被造物)を御覧になった。見よ。それは非常によかった。」(創世記1:31)とあるように、人は、神によって非常に良いものとして造られていたのです。
天から追放された堕天使たちのすべてが悪霊になったわけではありません。悔いるものたちもいたのです。神は、彼らに救いを用意されました。
天から追放されたものは、まず、罪を取り除かれなければなりません。堕落した天使長の影響を受けた彼らの神に逆らう心を取り除き、きよめを与えて、神が主権を与える神のひとり子に完全に従うもの、神のことばとひとつとなるものとしなければなりません。
神のことばとひとつとなった者(悔い改め、心を一新した堕天使)に、いのちの木の実(神の御前で永遠に生きる永遠のいのちを得させる「いのちの実」)を食べることを許し、再び、天に帰る恵みを用意されたのです。
しかし、心から悔い改めていないものは、善悪を知る知識の木の実を好ましく思い、いのちの木の実を蔑むことでしょう。彼らの心は、神のひとり子の主権にへりくだることを望まないからです。
エデンの園は、悔いる堕天使たちの救済のために設けられたように思います。そして、そのエデンの園を管理するのは、なんと、天使たちが尊ぶことのない塵から造られた人ではありませんか。
堕天使と言えども、もともと霊の存在として、長い間、神に仕えて来た天使たちです。霊の存在です。人のように、不自由な肉体の中にではなく、時間と空間との制約のない霊のからだの、天の存在だったのです。
人よりも、すぐれているではありませんか。天にいた彼らは、神を知る知識においても、知恵や力においても、人の千倍も万倍もすぐれています。
堕天使よりも劣る塵から造られた人に、何の良いものがありましょうか。人の管理に服することは、堕天使たちの大きな試みです。心砕かれた者、へりくだった者(堕天使)のために、いのちの木は用意されました。
余談ですが、宇宙人と言われているものは、天から追放された堕天使たちだと思われます。スピリチュアルな人々が宇宙人と交信したりしているようですが、実は、宇宙人は神から離れている存在なのです。
霊的な存在の彼らは、人の思いをはるかに超えた知恵と知識と力を有しています。それを、神の力だと思ってしまうのは、闇の心です。彼らが悪魔と繋がっていなくても、そのまま、受け入れるのは危険です。彼らは、神とも繋がっていないということを知らなければなりません。
彼らもまた、人と同じで、神の御前で罪ある者なのです。罪が贖われなければ、天に帰ることのできない存在なのです。
神は、彼らを救う手立てとして、エデンの園を回復されることでしょう。それは、神のひとり子イエス・キリストが治められる地上の千年王国です。あらゆる銀河の堕天使たちを集められることでしょう。
千年王国は、贖われた人々がキリストとともに治める、回復されたエデンの園です。
かつて、エデンの園で神の命令に背き、罪を犯したアダムの子孫(罪人)は、神の子羊イエスの血によって罪が贖われ、キリストの御霊によって新しく創造された第二のアダム(神の子ども)となって、回復されたエデンの園の管理者となるのです。
そして、神の子羊(神のひとり子イエス・キリスト)の血により罪が贖われた者、すなわち、千年王国を治められる神のひとり子キリストの支配にへりくだり、神から主権を受けたとこしえのイスラエルの王(神の御子)を拝するために都にはいることが許された者(堕天使の魂)は、都のいのちの木の実を食べて、永遠のいのちを得る者とされるのです。
私たちが、地球に人間として生まれていることは、神の大いなる憐れみによるのです。
エデンの園を耕し、守るように命じられた人は、神のことばを軽んじて罪を犯しましたが、神は、神の子羊イエスの血によって罪を取り除き、真理の御霊を与えて神の子どもに造り変えてくださる恵みの機会を得させてくださったのです。
私たち人には、自分自身の魂を管理することがゆだねられています。
よく耕して、良い実を結ぶならば、千年王国の管理者とされるのです。
アダムとエバの子、兄のカインが、よこしまな魂のカインを退けられて、神を愛する純真な心の弟アベルが主に受け入れられたのを妬んで、弟に殺意を持った時、主は何と仰せられましたか。
「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
あなた(カイン)が正しく行なったのであれば、(神に)受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。(あなたに罪を犯させようと、あなたの前に立ち、誘惑して来る)
だが、(心によくない感情を持つ)あなたは、それ(怒り)を治めるべきである。」(創世記4:6,7)
神は、人に、自分自身の感情をコントロールして神に受け入れられる正しい生き方をするように、また、神に良いものとして造られた自分の本性に立ち返るように(神のことばとひとつであった状態に回復するように)、ひとりひとりに、自分自身の魂の管理をゆだねておられます。
神のことばとひとつの者となるということは、神のことばである神のひとり子(神の子羊イエス・キリスト)とひとつとなることです。
神は、人間の目で見えるかたちで神のことば(神のひとり子イエス)を地上に遣わしてくださいました。十字架の神の子羊イエスを、神の御子キリストであることを信じることが、魂の本性に立ち返る道であり、真理の御霊を受けて、新しい人に新しく造り変えられることが、永遠のいのちを得る者、神の創造の完成者となる、唯一の道なのです。
魂を耕し、身魂を磨き、感情を治める人は、御霊とともにあって神の創造の完成のためにともに働く、キリストの兄弟です。
魂を正しく管理した人は、キリストとともに、天の御国を相続する神の子どもとされるのです。