ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

救いはユダヤ人から出る

 

 イエスはサマリアの女に言われました。

 「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。

 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。

 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:21-24)

 

 北イスラエルと異邦人の混血とされるサマリア人。ユダヤ人は、神の契約の中に留まらない混血のサマリア人を蔑んでいます。しかし、彼らもまたヤコブの血を引く者たちです。ユダヤの会堂に加えられなくても、彼らは独自にイスラエルの神を崇める民です。

 

 アブラハムは、イサクの子ヤコブの父祖でもあり、ヤコブの双子の兄エサウの父祖でもあり、イサクの異母兄のイシュマエルの父祖でもあります。ヤコブの子孫はユダヤ人、エサウの子孫は、エドム人、イシュマエルの子孫はアラブ人です。中東地域に住む人々です。彼らにとって、アブラハムが父なのです。

 

 神との契約を持つアブラハムは、自分の子孫に、救世主が遣わされるという約束を受けています。それで、アブラハムの子孫はみな、救世主が与えられることを待ち望んでいます。

 

 神は、アブラハムに、イサクの子がアブラハムの子孫と呼ばれると言われました。しかし、イシュマエルはイサクの兄です。アブラハムの長子です。それで、イシュマエルの子孫もまた、救世主を待ち望んで来ました。

 

 救世主は、アブラハムの子孫から生まれます。アブラハムの子孫と呼ばれるのは、イサクの子孫である、と神は言っておられます。イサクの子ヤコブの子孫(イスラエル)に、救世主キリストがお生まれになりました。

 

 ユダヤ人たちは、キリストはユダヤ民族から生まれることを知っていました。救い主は、神がアブラハムにお与えになったカナンの地(現イスラエル)に遣わされるという約束です。イスラエルの地は、アブラハムの神がユダヤ民族にお与えになった地です。救いはユダヤ人から出るのです。

 

 イエスは言われました。

 「救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちユダヤ人はそのことを知って神を礼拝し待ち望んでいます。しかし、ユダヤ人に数えられていないアブラハムの子孫はこのことを理解しないで神を礼拝し、ユダヤ人の中に救い主を見出そうとはしません。」

 

 「神を知り、神の御心に仕える真の礼拝者たちが、それぞれの教義や宗教によらないで、霊とまことによって父を礼拝する時が来るのです。神は何人もおられるわけではありません。神はおひとりです。神が遣わされる救い主が語る、まことの父を礼拝する時が来ます。すべての者は、この神の御子キリストの父に仕えるのです。

 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことの神を、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

 

 御子が成就される贖いのわざと、キリストが与えられる真理の御霊によって、父なる神を礼拝するのです。

 

 「わたしが道であり、真理であり、いのちです。わたしを通らなければ、誰ひとり父のみもとに来ることはない。」と言われたイエス・キリストのことばは真実です。

 

 イエス・キリストの十字架で流された子羊イエスの血の贖いと、罪の赦し。また、キリストが与えられる真理の御霊の証と、死から甦る復活のからだが、永遠のいのちなのです。イエス・キリストが世に与えられたこの救いの道以外に、父のみもとに帰る方法はないのです。

 

 ユダヤ人であろうと、アラブ人であろうと、異邦人であろうと、救いの道は、イエス・キリストの贖いの血と復活の、いのちの道だけなのです。この永遠に生きるいのちの道は、創造主であられる父がお定めになった、ただ一つの救いなのです。

 

 パウロは、ローマ3:1-4に、こう書いています。

 「では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。

 では、いったいどうなのですか。彼らのうちに不真実な者があったら、その不真実によって、神の真実が無に帰することになるでしょうか。絶対にそんなことはありません。たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。」(ローマ2:1-4)

 

 ユダヤ人は、神から契約を受けています。人類を救うための契約です。彼らは、神から預言をいただき、神のご計画を知らされて来ました。彼らは、イエスを生み、十字架で罪の贖いの血を流し、復活のキリストを王とする民です。

 

 ユダヤ人がそのことに気づかず、イエスがキリストであることを認めなくても、神のご計画が中断することはありません。

 

 思い出しましょう。ユダヤ民族を選ばれたのは、キリストの父なる神です。主ご自身が言っておられるのです。「イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。」(出エジプト記4:22)

 

 ユダヤ民族は、神が契約を結ばれたイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。先祖たちも彼らのものです。また救い主キリスト・イエスも、人としてはユダヤ民族から出られたのです。(ローマ9:4,5)

 

 ユダヤ民族から出られたキリストは、「イスラエルの王」として、再び、地上に来られます。イエス・キリストの御名に望みを持つ人々の救いのために来られるのです。

 

 その時代に、世界中の人々が言います。そのことを、イザヤが預言しています。

 「多くの民が来て言う。『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。』それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。」(イザヤ2:3)

 

 救いは、イスラエルのユダヤ人から出、エルサレムに住まわれる主にあるのです。