すべての人は、アダムとして生まれています。個々人がいるようで、実は、ひとりのアダムなのです。すべての人は罪を犯しました。ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあるのです。
アダムは土から造られた者であり、女から生まれた者たちです。肉体を持ち、肉なる者として生きます。肉なる者の霊は死んでいます。死んでいる霊は、まことの神から遠く離れています。
すべての人は、肉体の中に、霊と魂を持っています。
霊は、創造主である神と繋がる部分です。創造主である神は、霊なる存在のお方です。霊のことは霊によって知るのです。しかし、アダムの霊は、アダムの罪(エデンの園から追放される原因となった神に対して犯した罪)により、神から外れました。いのちの根源である神から外れた霊は、死んだものとなりました。死んだ霊は、神との繋がりが切断された状態です。
死んだ霊は光を失いました。光を失った霊は、神の霊を受ける機能を失い、闇の霊を受けるものとなりました。それで、暗闇のことにはよく反応しますが、光のことを悟ることができません。
暗闇の支配者である悪魔が、「神」とするものを神と認識します。人は、この偽りに騙され続けてきました。霊の死んだアダムは、悪魔が与えるものを真理だと教え込まれてきたのです。
暗闇の支配者は、人に、天地万物は自然発生したかのように教えます。神が創造したなんて、突拍子もない発想だと笑い飛ばします。神は存在しないと思い込ませます。神が人に与えた永遠への思いを、宇宙の中に閉じ込めます。宇宙に思いを向けさせて、まことの神から思いをそらせます。
魂は、神に似せて造られた人の持つ機能です。神のご性質である、愛も憐れみも喜びも平安も美しさも聖さもこの中にあります。しかし、霊の死んだアダムの魂は、悪魔に捕らえられて悪魔の性質である、妬みや憎しみや恨みや争心や盗みや汚れを入れられました。悪魔の性質を入れられたアダムゆえに、すべての人は悪魔の性質を持っているのです。
神に似せて造られたアダムの霊が死んで、アダムは、偽りの父悪魔に似た者となったのです。肉によって生まれた人、女から生まれた人は、すべてひとりの人アダムです。アダムは、土の人であり、やがて、土にかえります。
アダムは死にました。霊が死んだ者は、神のもとに帰ることができません。肉体が動いている間、生きているように見えて、実は、死人です。肉体の死とともに墓に入るまでの時を生きているかのように錯覚しているのです。アダムには、希望がありません。肉体の死とともに、すべてのことが消えうせるからです。遺っているように思っても、百年、千年、万年と時の流れに飲み込まれていくのです。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、御自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を忍耐をもって見逃して来られたからです。
それは、今の時に御自身の義を現わすためであり、こうして神御自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。」(ローマ3:23-26)
神は、その愛と憐れみによって、アダムを義とする贖いの子羊を用意されました。アダムを悪魔から救い出すためです。神は正義のお方であって、不義(悪魔)を入れることはできません。不義となったアダムを義とするために、神のひとり子(イエス・キリスト)を犠牲とされました。
神の恵みです。アダムは価なしに、神のひとり子イエスによる贖い(十字架の死と神の子羊イエスの血)のゆえに、義と認められるのです。
神は、アダムのために、過越しの子羊キリストを屠られました。イエス・キリストによるなだめの供え物は、罪を赦される神御自身の義を現わしました。神は、キリスト・イエスを信仰によるなだめの供え物として、公にお示しになったのです。ユダヤ人だけではありません。異邦人にとっても、イエス・キリストを信じることは、信仰の義を受けることになるのです。
こうして、神御自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになることを明らかにされたのです。
「神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。」(ローマ3:21,22)
神は、死んだ人アダムから、新しいひとりの人を創造されました。神の御霊によって創造されます。御霊によって、アダムは自分が罪人であり、滅ぶものであることを知らされます。イエス・キリストによる贖いと救いのことばを聞き、罪を悔い改めて神に立ち返ります。イエス・キリストの救いを受けた者のうちに、キリストの御霊が住まわれます。死んでいたアダムの霊は、キリストを甦らせた御霊によって、死からいのちに移されるのです。
御霊はその人のうちにあって、肉なる生き方を改めて御霊によって生きることを教えます。キリスト・イエスを信じる信仰に御霊の働きが伴うのです。キリストを信じる者は、御霊によって新しく生まれた者です。女から生まれた肉の子どもではありません。御霊によって生まれた霊の子どもです。霊の子どもは、御霊の性質を受けて育ちます。肉の性質(悪魔の与えた性質)の影響は影をひそめ、神のご性質が、新生した魂にかたち造られていくのです。
神の新しい創造です。新しい創造の第二のアダムは、キリストに似た者とされます。彼らは第二のアダムです。アダムがひとりの人であるように、第二のアダムもまた、ひとりの人です。第二のアダムは、イエス・キリストのからだです。
キリストは永遠に生きる神の御子です。キリストをかしらとするキリストのからだ(イエス・キリストの贖いの血によって救いを受けた信仰者たち)もまた、永遠に生きる神の子どもです。永遠のいのちを持つ、新生したアダムなのです。
アダムは、死と滅びに向かう死人です。イエス・キリストを信じる信仰を持つ人は、御霊によって新生したアダム、永遠に生きる「いのちの人」とされます。