「私たちがまだ弱かったとき(信仰がなかったとき)、キリスト(神の御子イエス)は定められた時に、不敬虔な者(神に言い逆らう不遜な罪人)のために死んでくださいました。
正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。(ましてや、自分に罪を犯した悪人のために、誰が自分の命を与えるでしょう。)情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。(愛してくれる人のためには、命を惜しまない人はいるでしょう。)
しかし私たちがまだ罪人であったとき(罪を悟らず、私たちに罪があるとわからずに、神に高ぶって生きていたとき)、(神のひとり子である)キリストが(罪の報酬の死が定められている罪人の)私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する御自身の愛(無条件の愛)を明らかにしておられます。(キリストは、神が私たちの罪を赦してくださるようにと、ご自分のいのちをささげ、生贄の子羊となって、贖いの血を流してくださいました。キリストは、私たち死の定まった罪人に、罪のないいのちを得させるために、血を流されたのです。キリストは、ご自分のいのちを与えて、私たちの罪の身代わりに神の裁きを受けて、私たち罪人が受けなければならない罪の呪いを代わりに受けてくださったのです。)
ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たち(キリストは世の罪を取り除かれたのです。)が、彼(神の子羊イエス・キリストの御名)によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。(キリストを信じる者は、罪を赦す神の子羊イエスの血を感謝し神をたたえる者であり、神に義と認められた者です。神は義と認めた者を裁くことはなさいません。御子の死によって神と和解した義人は、神の怒りから救われ、死の呪いから救われるのです。)
もし敵であった私たち(神に反逆する悪魔に聞き従う罪人であった私たち)が、御子(神の子羊イエス)の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たち(キリストの血によって罪が贖われ、罪が赦されて、神の聖霊【真理の御霊】をも賜った私たち)が、彼のいのち(死から甦られたキリストのいのち【聖霊】)によって救い(永遠のいのち)にあずかるのは、なおさらのことです。
そればかりでなく、私たち(罪人)のために今や和解(罪を赦して、真理の御霊を授け、永遠のいのちを得させて、神のみもとに帰るいのちの道)を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは(私たちを罪の呪い〈永遠の死〉から救い出し、御霊の性質の新しい人に造り変えて、神の子どもに新しく創造してくださる)神を大いに喜んでいるのです。」(ローマ5:6-11)
「もし(世が)ひとりの人の違反(神のことばに聞き従わなかった最初の人アダムの違反)により、ひとり(アダムの罪)によって死が支配するようになったとすれば(それゆえ、人類はすべて死ななければなりません)、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々(神の子羊の贖いの血の恵みを信じ、義の実を結ぶ御霊を豊かに受けている信仰の人々)は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのち【真理の御霊が得させてくださる永遠のいのち】にあって(とこしえの御国の神が義人たちを)支配するのです。
こういうわけで、ちょうど一つの違反(アダムが神の命令にそむき、善悪を知る知識の木の実を食べた罪)によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為(神のことばに聞き従い、十字架の死に至るまで忠実に神に聞き従い通したイエスの完全な信仰、神のことばとひとつであったイエス・キリストの「罪のない完全な人」としての歩み)によってすべての人が義と認められて、(天の御国にはいる永遠の)いのちを与えられるのです。
すなわち、ちょうどひとりの人(アダム)の不従順によって多くの人が罪人とされた(永遠の死に定められた)のと同様に、ひとりの人(神の子羊イエス)の従順によって多くの人が義人(神と和解し、永遠のいのちを得る神の子ども)とされるのです。」(ローマ5:17-19)
神は、御救いにはいるようにと、罪人を招いておられます。
私たちは、神に愛されているのです。
神は、契約を結んだユダヤ民族に律法を与えられました。神のお与えになった律法は、神のひとり子を人の子として遣わすと定めたイスラエルを、キリストを迎える神の祭司の国民とするためでした。
「(神の民イスラエルに)律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。(律法がなければ、義の基準がなく、違反も罪に定められることもありません。〔律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。〕〈ローマ5:13〉)
しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。(律法がはいって来て、罪を知りました。違反によって、罪の意識に苦しめられます。しかし、罪がわかればわかるほど、罪が赦される喜びは増し加わります。〔さばきの場合は、一つの違反のために罪に定められた(アダムの違反により人類は罪に定められ、死ぬことと死後に裁きを受けることとが定められた)のですが、恵みの場合(神がお与えになった御救いの賜物)は、多くの違反が(キリストの血によって赦され)義と認められるからです。〕〈ローマ5:16〉)
それは、罪が死によって支配したように、恵み(キリストの贖いの血)が、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物(聖霊、すなわち、真理の御霊)によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」(ローマ5:20,21)
神の遣わされた救い主(神の御子イエス・キリスト)を信じる者は、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
罪の奴隷であったときは、私たちは義(永遠のいのちをお与えになる神)については、自由にふるまっていました。それらのものの行き着く所は死(永遠の火の池)です。
「しかし今は、罪から解放されて神の奴隷(義の奴隷、真理の御霊に聞き従う者)となり、聖潔に至る実(真理の御霊)を得たのです。(御霊によって、義の実を結ぶ者とされました。)その行き着く所は永遠のいのちです。(神と和解して、天の御国にはいる神の子どもとされるのです。)
罪から来る報酬は死(永遠の死)です。
しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのち【聖霊、すなわち、真理の御霊】です。」(ローマ6:22,23)
私たちが罪人であったときに、私たちの罪のために死んでくださった救い主イエス・キリストによって、真理の御霊(永遠のいのち)を受ける恵みをいただいたのです。
神は、私たちが滅ぶことがないようにと「救い主(神の御子イエス・キリスト)」を遣わし、いのちの道を歩んで天の御国にはいるようにと「助け主(真理の御霊)」を遣わしてくださいました。
神は罪人が滅ぶことを望んではおられません。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(人の子の姿で来られた神のひとり子)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、(死と悪魔に勝利する御霊の信仰によって)永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
イエス・キリストを信じ、真理の御霊を受けた者は、神の愛を素直に信じ、受け入れた者です。
神の愛は、すべての人々に注がれています。
神の愛を信じることは、「私もあなた(神)を愛しています。」と、応答することです。
神に愛されていることを知るならば、恐れや不安は去っていきます。
神の愛は、私たちの心に、感謝と喜びと平安を与えてくれます。
私たちは、地上にいながら、神の御国を体験するのです。
鏡に映った自分に言ってあげましょう。
「恵まれた人よ。あなたは神に愛されています。」
「おめでとう。神に愛された人よ。主がともにおられます。」