ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

招かれる者は多いが選ばれる者は少ない

 

  神の御子が神の子羊として天から下り、人類の罪の身代わりとなって十字架につけられました。それで、人類の罪は、生贄の子羊の血潮で贖われました。

 

  死と滅びから救われたいと願う者達は、イエスに救いを求めました。十字架のイエスに目を向ける者の心の覆いは取り除かれ、彼らは罪の赦しを得ました。

 

  イエスの血はすべての人のために流されたのですが、救いを求めてイエスのもとに来る者はすべての人ではありません。

 

  罪赦されて満足し、もとの生活に戻る者もいれば、赦してくださったイエスと共にいたいと弟子になる者もいます。

 

  弟子となった者は、キリストのことばを聞き、キリストの御名で祈り、神を礼拝し、神の交わりの中に入ります。

 

  神の祝福を受け恵まれると、神の賜物を世のために使い、成功の味をしめて世に目を向けて世に戻って行く者もいれば、神の愛を知り、この世では得られない真の義に飢え渇いて益々神を求める者もいます。

 

  神の愛を知った者には、神に愛されている自分自身に思いを向ける者と、愛して下さるイエスに思いを向ける者とがいます。

 

  神が与えて下さる祝福に思いを向ける者と、祝福して下さる方、主イエスに思いを向ける者とがあります。世を愛し世に属する者と、神を愛し神に属する者とがあります。

 

  世よりも主イエスを思う者、イエスを主と告白して、弟子のようにイエスに従って歩む者の心に主の御霊が住まわれます。

 

  主の御霊がうちにいて、その人を新しく霊によって生まれさせ、神の御心を求める新しい霊の子として創造されます。

 

  神のわざを人間の標準でとらえようとすると、御霊を消してしまいます。

 

  神を信じ、御霊と共に生きるなら、御霊は道を教えてくださいます。御霊は教え、励まし、ことばを与えられます。

 

  神から遣わされたイエスは罪を赦し、天の神に帰る永遠のいのちの道を設けて下さいました。神から遣わされた御霊は、いのちの道を歩む者として下さり、死から復活させて霊のからだを与えて下さるのです。

 

  

  神は、すべての者を招いておられます。しかし、応答する者は、すべての者ではありません。

 

  招かれる者は多いですが、神の用意された方法(御霊によって新しく生まれ、御霊に聞き従い、神の子として養育される)によらなければ、神の御国に入る事は出来ません。

 

  神には計画があります。イエスを信じる者の罪を赦して、この世の営みを存続させることではありません。 

 

  神の御子イエスを信じ、神の御霊によって新しく生まれた霊の子を神の御国に入れて、御子である神の子羊とともに、永遠に神の国を相続させる神の子を集めるために、神は、地上に御子と聖霊を遣わされたのです。

 

  キリストの十字架から今日まで、多くの人が主イエスを信じました。多くの人が神の国に入る者として招かれました。

 

  しかし、イエスはいわれました。「招かれる者は多いが選ばれるのは少ない。」

 

  イエスは、天の御国のたとえを話されました。「宴会に招いた客を見ようと王が入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王はしもべ達に言った。『あれの手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』」

 

  神の御国は、死の無い永遠のいのちの国です。そこに入るためには、永遠のいのちと霊のからだが必要です。霊のからだは、御霊が与えて下さるものです。

 

  永遠のいのちの約束をいただいても、霊のからだの無い者は、御国に入る事が出来ません。

 

  イスラエルの王は、羊組と山羊組に分けます。羊組の人達に、「さあ、わたしの父に祝福された人たち。御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であった時、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていた時、わたしに飲ませ、わたしが旅人であった時、わたしに宿を貸し、わたしが裸の時、わたしに着る物を与え、わたしが病気をした時、わたしを見舞い、わたしが牢にいた時、わたしを訪ねてくれたからです。」

 

  羊組の人達は、答えて言います。「主よ。いつ、私達は、あなたが空腹なのを見て食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。いつ、あなたが旅をしておられる時に、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私達は、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、お訪ねしましたか。」

 

  王は答えて言います。「あなたがたが、わたしの兄弟ユダヤ人達、しかも最も小さい者達の一人にしたのは、わたしにしたのです。」

 

  王は、山羊組の者達に言います。「呪われた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使い達のために用意された永遠の火に入れ。お前達は、わたしが空腹であった時、食べる物をくれず、渇いていた時にも飲ませず、わたしが旅人であった時にも泊まらせず、裸であった時にも着る物をくれず、病気の時や牢にいた時にも訪ねてくれなかった。」

 

  山羊組の者達は答えて言います。「主よ。いつ、私達は、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。」

 

  王は彼らに答えて言います。「おまえ達が、ユダヤ人の最も小さい者達の一人にしなかったのは、わたしにしなかったのです。」こうして、王は、ユダヤ人を憎む者達を外の暗闇に出し、神の御国には入らせませんでした。

 

  彼らは、神を信じていながら、神の御心を知ろうとしない者達でした。神がキリストの名によって遣わされた御霊にへりくだろうとしませんでした。主の御霊は、ユダヤ人を憎んだりはされません。

 

  御霊を受け、御霊に従うならば、いのちの道を歩んで、神に選ばれる者となることでしょう。招かれた者は、神に選ばれる歩みをしていきましょう。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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