ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖なる契約の箱

 

 荒野を行くユダヤ人が持ち運び、イスラエルとともにあった契約の箱は、神の臨在でした。全能の聖なる神そのものだったのです。神は、イスラエルの真中におられ、イスラエルとともに歩まれました。また、イスラエルは、神とともに歩んだのです。神の号令とともに進み、神の命令によって留まりました。

 

 イスラエルが、父祖アブラハムに約束された所有の地、カナンの地(現イスラエル)に定住し、神殿が造られると、契約の箱は、神殿の至聖所の中に安置されました。

 

 契約の箱を目にすることのできる者は、年に一回至聖所に入る、その年の大祭司だけでした。神は契約の箱とともにおられました。

 

 ダビデ王の治世に、契約の箱を運ぶウザが契約の箱に触れると、その場で神に打たれて死にました。ウザは、契約の箱を運ぶ役目の者であって、契約の箱に触れて移動させる祭司ではなかったからです。

 

 ウザは、揺れて落ちそうな契約の箱を支えようとして、とっさに手を伸ばしたのですが、神に聖別されていないウザが契約の箱に触れることは、聖なる神を汚すことでした。ダビデ王は、「ウザの割り込み」と言って、聖なる神を汚したウザの罪を恐れ、聖なる契約の箱を畏れました。

 

 契約の箱は、神とイスラエルとの契約であり、神の臨在を現わす聖なるものです。人が触れてはならないものでした。神に愛されたダビデ王はユダ族の者であり、神に仕える者として聖別されたレビ人ではありません。ダビデ王もまた、契約の箱に触れてはならない者でした。

 

 ユダヤ民族との契約は、神の聖を現わしていました。

 

 神の聖なる民、ユダヤ民族からキリストがお生まれになって、イスラエルと結ばれた神の契約は、神の御子キリストにあって、新しい契約に書き換えられました。イスラエルとの契約が、キリストの出現によって、全地に及ぶ契約となったのです。

 

 ユダヤ民族との契約は古いものとされ、ユダヤ人から出たキリスト・イエスによって、すべての民族と新しい契約を結ばれました。神は、イエスを主とする者と契約を結ばれます。神は、御自身の御子イエスを主キリストとする者を神の民とされるのです。

 

 神は、人の罪を贖い、死から救い出すためにご自分の血を流し、死に勝利した神の子羊イエスを、人を救う救い主キリストとされます。神が天から遣わされたキリストは、神のひとり子です。

 

 神は、神のひとり子によって、新しい契約をイスラエルと結ばれました。それは、霊的な契約でした。文字の律法による契約でも、肉の割礼による契約でもありません。

 

 神がアブラハムに与えた契約があります。

 「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハム(高貴な父)となる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。

 わたしは、あなたの子孫をおびただしく増やし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。」(創世記17:4-6)

 

 神は、アブラハムの妻サラについても仰せられました。

 「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラ(王女)となるからだ。わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」(創世記17:15,16)

 

 神は、契約を結んだアブラムと妻サライを、高貴な父アブラハムと、王の娘サラとされ、彼らから多くの国民を生み、彼らを多くの国々の王たちを生む父と母とされたのでした。

 

 アブラハムは、イスラエルの父だけではありません。神は、イスラエルから生誕するキリストによって、多くの国民の父とすることを約束しておられたのでした。

 

 新しい契約は、血肉のイスラエルから、霊的イスラエルを創造するものでした。神が預言者によって語っておられた、神が遣わされたキリストによって、新しい契約は結ばれました。

 

 神が遣わされた神の贖いの子羊イエスが、神と結ぶ永遠のいのちの契約です。神の子羊イエスを受け入れ、信じる者は、心に契約の割礼を受ける者です。キリストの御霊に聞き従うという契約です。

 

 霊的契約は人の目には見えませんが、霊なる主が、御霊において証し、認定されるものです。

 

 血肉のイスラエルに与えられた契約は、聖なる契約の箱によって、認定されていました。この契約の箱は、触れることが許されていない、聖なるものです。民が近づくことが許されていませんでした。

 

 しかし、霊的イスラエルに与えられた契約の箱は、生ける神の御子イエス・キリストご自身です。聖なる神の御子が、卑しい土の器(肉体)に入って、血肉のイスラエルと新しい契約を結ばれました。

 

 神の民ユダヤ人も触れることが許されなかった聖なる契約の箱が、見て聞いて触れることのできる「人の子イエス」とともにおられる聖霊となり、新しい契約となられたのでした。

 

 人の子イエスは、ユダヤ人たちに、父について、神の国について、永遠のいのちについて教え、祭司でない民衆に、神の知識を与えられました。

 

 神のキリスト・イエスは、新しい契約の保証として、キリストの御霊を与えられます。古い契約では、二枚の石の板(律法)が与えられました。しかし、新しい契約では、神の民(イエスを主とする民)のうちに御霊を住まわせ、御霊が心の板に律法を記して下さるのです。御霊による心の割礼を受けるのです。

 

 古い契約の外見上のからだの割礼が割礼ではありません。文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼なのです。(ローマ2:28,29)

 

 神のキリスト・イエスが与えた新しい契約は、御霊を契約の証とされます。御霊が、神のものであることの保証となられるのです。

 

 イエスご自身が言っておられます。

 「人はどんな罪も冒瀆も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒瀆は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」(マタイ12:31,32)

 

 肉体の人を冒瀆することは赦されても、その人のうちにおられる御霊を冒瀆することは、永遠に赦されないのです。御霊は、契約の箱と同じ神の臨在なのです。神の臨在を汚す者は赦されません。

 

 神が全き聖としておられる聖霊を、神は、神の御子イエスの御名によって神に近づく者たちのうちに、賜物として分け与えられます。ウザが触れただけで神に打たれて死んでしまった神の臨在を、イエスを主キリストと告白する土の器(肉体)の中にお与えくださるとは、驚くべきことです。

 

  パウロは言っています。

 「私たちは、この宝(神の栄光を知る知識、聖なる御霊)を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(コリントⅡ4:7)

 

 神はイエス・キリストにおいて、ユダヤ人と異邦人の隔ての壁を取り除かれました。神との契約の中になかった異邦人であっても、イエスの御名によって、御霊を宿す聖霊の宮としてくださるのです。

 

 御霊は、土の器を聖霊の器に造り変えてくださいます。御霊による新しい創造です。イスラエルの神の新しい契約は、御霊の新しい創造によって成就するのです。

 

 御霊を宿す神のしもべは、聖なる契約の箱を安置した至聖所のようです。主イエスの御名によって、神に近づき、執り成しをします。

 神は、子羊イエスの贖いの血によって罪を赦し、キリストの血によって卑しい土の器をきよめ、聖なる契約の箱同様の神の臨在である御霊を住まわせてくださいます。