「シオン(神の民)を憎む者はみな、恥を受けて、退け。」(詩篇129:5)
神に愛されたダビデ王は、神に訴えました。
「神よ。私を救い出してください。
主よ。急いで私を助けてください。
私のいのちを求める者どもが、恥を見、はずかしめを受けますように。
私のわざわいを喜ぶ者どもが退き卑しめられますように。
『あはは』とあざ笑う者どもが、おのれの恥のためにうしろに退きますように。」(詩篇70:1-3)
神は、ダビデ王に、約束されたことがあります。
「あなた(ダビデ)の家とあなたの王国(イスラエル)とは、わたし(神)の前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」(サムエル第二7:16)
神は、ダビデの子孫に、神のひとり子キリストをお生みになりました。そして、罪の贖いと御救いのみわざを成し遂げたキリストに、とこしえの主権と光栄と国とをお与えになりました。
イエス・キリストは、「ダビデの子」と呼ばれる「人の子」であり、ダビデの王座に着く「とこしえのイスラエルの王」です。そして、キリストの治められる「とこしえのイスラエル」(イスラエル十二部族に分けられる七つの御霊の教会)は、とこしえに続く国なのです。
キリストが治められる「とこしえの国」の国民はすべて、永遠のいのちにはいる新しい人たちであり、キリストを長子とする神の子どもたちなのです。
神は、神が遣わされた神の御子イエス・キリストにおいて、ダビデとの約束を成就されます。
また、キリストが来臨される直前の世において、神は、ユダヤ人の御救いのために、ふたりの証人を立てられます。
ユダの総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアのふたりでしょう。彼らは、王座に着かれるキリストの右と左に立つ二本のオリーブの木です。
ユダの総督は、イスラエルの王イエス・キリストに仕え、神に従ってイスラエルを治めるために、神が立てられる正しい指導者です。
大祭司ヨシュアは、ユダの総督に神のことばを授ける預言者であり、ユダの総督と心一つの者です。神の御霊によって、ふたりはイエス・キリストの証人として、一致した者なのです。
神がダビデに「わたし(神)が、あなたのために家を建てる。」と仰せられたことは、確かな約束です。
イスラエルの国を治める指導者が、ダビデの家から出ます。
イスラエルの長子の権利を持つエフライム族(ヨセフ族)から出るのではありません。ダビデ王の属するユダ族から出るのです。
ダビデの祈りは、終りに立つ彼らの祈りでもあります。神が立てられる指導者は、父ダビデの腰にいたのです。
ダビデはイスラエルの王。イスラエルは、イスラエルの王の国です。
「イスラエルのいのちを求める者どもが、恥を見、はずかしめを受けますように。」
イスラエルのいのちを求める者どもは、裁き主である神の御前に申し開きすることもできずに、御前から退けられます。神は、彼らに永遠の滅びを宣告されます。
「シオンの娘よ。子を産む女のように、身もだえし、もがき回れ。
今、あなたは町を出て、野に宿り、バビロンまで行く。
そこであなた(神と契約を結ぶシオンの娘、すなわち、イスラエル)は救われる。
そこで主はあなたを敵の手から贖われる。
今、多くの異邦の民があなた(イスラエル)を攻めに集まり、そして言う。
『シオンが犯されるのをこの目で見よう。』と。
しかし彼ら(イスラエルを攻める異邦人たち) は主の計らいを知らず、そのはかりごとを悟らない。(イスラエルを弱くし、彼らの手のうちに入る事を許されたのは、神のはからいなのです)
主が彼らを打ち場の麦束のように集められたことを。」(ミカ4:10-12)
神は、すべてを御覧になっておられます。
イスラエルに敵対する者らを調べておられます。
自分たちがイスラエルを負かしたと言って、彼らが勝ち誇るとき、彼らの敗北が定められるのです。
神は、天地万物を造られた全能の神であり、最後の裁きをされる裁き主です。
彼らは、主によって、打ち場の麦束のように砕かれるために集められます。
彼らに救いはないのです。
敵地まで引いて行かれたユダヤ人たちが救われ(永遠のいのちを得させられ)、引いて行った敵は罪に定められて滅ぶ(永遠の死に定められる)のです。
すべてのことは、万軍の主の正しい裁きのために、主の御計らいによって働いているのです。
人として来られたキリストは、すべての人の心を御覧になります。
イエスは、すべての国々の民が、神の御前に集められて、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、主が、彼らを羊(御自分の民)と山羊(悪魔の民)とにより分けられることを言われました。そして、羊をご自分の右に、山羊を左に置かれます。
主は、右にいる者たちに言われます。
「あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれた。」
しかし、右にいる正しい者たちにとって、主の言われることは身に覚えのないことです。自分たちは、いつ主にそのようなことをしたのだろうか、と不思議に思います。
すると、主は言われます。
「あなたがたが、これらのわたしの兄弟(ユダヤ人)たち、しかも最も小さい者たち(名もない捨てられたユダヤ人たち)のひとりにしたのは、わたし(イスラエルの王であるキリスト・イエス)にしたのです。」
そして、彼らは、天の御国の主権者であられるキリストに喜ばれ祝福されて、キリストとともに天の御国を相続する者として、神の国に迎え入れられるのです。
それから、左にいる者たちに言われます。
「呪われた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたち(悪霊ども)のために用意された永遠の火にはいれ。
おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。」
彼らには、主が何のことを言っておられるのか、わかりません。
しかし、主は言われます。彼らはユダヤ人たちを虫けらのように扱い、はずかしめたのです。
「まことに、おまえたちに告げます。
おまえたちが、この最も小さい者(弱い哀れなユダヤ人)たちのひとりにしなかったのは、わたし(イスラエルの王である神の御子イエス・キリスト)にしなかったのです。」
主は、イスラエルを祝福する者たちを正しい者として、永遠のいのちを得させ、イスラエルを呪う者たちを呪われた者として、永遠の刑罰に定められます。
神は、「イスラエル(ユダヤ人)を祝福する者を祝福し、イスラエル(ユダヤ人)を呪う者を呪う。」という約束に忠実なお方です。
また、主は言われます。
「あなたがた(キリスト者たち)を受け入れる者は、わたし(彼らの主であるキリスト)を受け入れるのです。また、わたし(イエス・キリスト)を受け入れる者は、わたしを遣わした方(創造主であり裁き主である父なる神)を受け入れるのです。(神の御子イエス・キリストを受け入れないのは、イエス・キリストを遣わした天の父なる神を受け入れないことであり、イエス・キリストを信じるキリスト者たちを受け入れないのは、神の御子イエス・キリストを受け入れないことです。神の御子イエス・キリストを受け入れないのは、御自身のひとり子をお与えになった天の神の御救いを受け入れないことです)
預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。(預言はその人のいのちの守りとなり、義人の仲間とされるのです)
わたし(イエス・キリスト)の弟子だというので、この小さい者(心のへりくだった名もないキリスト者)たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」(マタイ10:40-42)
イスラエルの王であられるイエス・キリストは、血肉のユダヤ人のイスラエルだけではありません。
異邦人の中から集められた信仰のイスラエル(キリスト者たち)に飲ませた水一杯の親切を、ご自分にされたことのように覚えておられ、キリスト者に親切にしてくれた人々を千年王国で都に招いて、いのちの木の実を食べる許しを彼らに与えられるのです。
いのちの木の実を食べる者たちは、永遠のいのちにはいります。
神は、契約に忠実なお方です。
ユダヤ人たちは、父なる神と契約を結び、肉の割礼と律法の契約を守ります。
キリスト者(クリスチャン)たちは、神の御子イエス・キリストと契約を結び、約束の御霊を受けて、イエスのことばに教えられて、良心のきよめを受けます。
肉なる人は、神との契約を結んでも、完全に守ることができません。
信仰も揺れ動きます。
しかし、神は堅固な巌であって、御自身の契約はとこしえまでも変わらず、契約を完全に守られる神なのです。