ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神のことばがいのちを守る

 

  大祭司アナニヤは、イエスを伝えるパウロを総督に訴えた。ぺリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につなぎとめたままにしていた。二年経って後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任となった。

 

  新しい総督に、祭司長達とユダヤ人のおもだった者達が、パウロのことを訴え出て、パウロを取り調べることを願った。

 

  パウロが皇帝カイザルに上訴したので、ローマに送られる事となった。船でイタリアへ行くことが決まった時、パウロとほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。ユリアスはパウロを親切に取り扱った。

 

  百人隊長は、イタリアに行くアレキサンドリアの船に彼らを乗り込ませた。船の進みは遅く、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことが出来ず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。

 

  かなりの日数が経過しており、断食の季節(十月の贖いの日)も過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私達の生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」と言った。

 

  しかし百人隊長は、パウロの言葉よりも、航海士や船長の方を信用した。また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、出来れば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。

 

  おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹き降ろして来て、船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことが出来ないので、しかたなく吹き流されるままにした。

 

  暴風に激しく翻弄されていたので、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、彼らの命が助かる最後の望みまで絶たれようとしていた。

 

  パウロが彼らの中に立って、こう言った。

  「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、命を失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。

  『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々を皆、あなたにお与えになったのです。』

 

  ですから、皆さん。元気を出してください。すべて私に告げられた通りになると、私は神によって信じています。私達は必ず、どこかの島に打ち上げられます。」

 

  十四日後、夜が明けると、どこの陸地かわからないが、砂浜のある入江が目に留まったので、できれば、そこに舟を乗り入れようということになった。錨を切って海に捨て、同時にかじ綱を解き、風に前の帆を上げて、砂浜にむかって進んで行った。ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。

 

  兵士達は、囚人達が誰も泳いで逃げないように、殺してしまおうと相談した。しかし百人隊長は、パウロを助けようと思って、その計画を押さえ、彼らは皆、無事に陸に上がった。そこは、マルタと呼ばれる島であることを知った。

 

  こうして、パウロの言葉とおりに、皆がマルタと呼ばれる島に上陸したのです。

 

  百人隊長ユリアスが、囚人であるパウロに好意を持つようにされたのは、主です。主は、主の道を歩む者とともにおられ、その道を守ってくださいます。彼を安全に導くために、好意を持つ人を起こしてくださいます。

 

  しかし、好意を持ち、親切だからと言って、パウロと心一つであるわけではありません。百人隊長は、パウロの言葉よりも航海士や船長の判断を信用しました。専門的知識のないパウロよりも、経験と実績を兼ね備えた専門家である航海士や船長の言う事の方が信頼できると思うのは当然です。

 

  そのために、専門家の人がいるのではないでしょうか。その道の事は、専門家に任せた方が確かだと思います。海をよく知らない素人のパウロが何を知っているというのでしょうか。船長たちには、知識と経験があるのです。彼らは今まで多くの出航の判断を下して来て、無事に航行して来たプロです。

 

  百人隊長ユリアスの判断はもっともだ、と誰もが思いました。しかし、状況は一変します。想定外の事に直面することになりました。専門家であっても、経験値を超えたことまでは知識が及びません。知識をフル回転させて事に当たりますが、なす術がありません。お手上げです。

 

  神は、人の知識や常識や想定を超えたところにおられます。神に想定外な事はないのです。人にとって想定外な事柄でも、神にはすべてがわかっておられるのです。

 

  神はパウロに知らせておられたのです。神のことばを受けたパウロが居ても、それが受け入れられなければ、パウロもともに神が警告された災いの中に入って行くのです。運命共同体なのです。

 

  百人隊長は、どの言葉を選ぶかの責任がありました。霊的には、パウロが皆を守る立場にありますが、肉的には、パウロは百人隊長に服する立場にありました。

 

  パウロの神のことばの方が、専門家の言葉にまさっていることに気づいた百人隊長ユリアスは、パウロを兵士達の計画から救いました。

 

  パウロの命を守ったのは、専門家の航海士や船長でもなく、パウロに権威を持つ百人隊長ユリアスでもありません。神のことばが、パウロを支え、パウロの命を守りました。そればかりか、パウロと同船している人々皆の命も守り、彼らをパウロに与えられたのです。

 

  神のことばにはいのちがあります。そのいのちのことばによって、神のことばを信じる者のいのちを守られるのです。

 

  神は、危険なことに直面することを示されます。その示しを受け取るのは人であり、神の警告を信じ従うか否かの判断は、ひとりひとりにまかされているのです。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷泰世著 (青い表紙の本)

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