ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

新陳代謝から新しいとこしえのいのちへ

 

 花の苗を育てていて、気づいたことがあります。

 枯れた葉やしおれた花をこまめに取り除いてあげると、次々と新しいつぼみが出てきて花が咲きます。また、枯れた葉がなくなることで、葉は青々として木全体にいのちが溢れ生き生きします。

 

 枯れた葉やしおれた花に取られていた養分が、新しいいのちを生み出すために使われるからです。

 

 今朝いつもどおり、その作業をしている時、古いものが消えれば新しいものが出て来る、という新陳代謝を思い浮かべました。新しい細胞が生まれるためには、古い細胞がいつまでも頑張っていてはいけないのだ、と思いました。

 

 それって、今の日本国に当てはまるのでは、と考えた時、ちょっと引きました。日本国は高齢化社会になり、生まれて来る日本人の赤ちゃんが少なくなったことを思い浮かべたからです。

 

 えっ、それって、私のような高齢者はいなくなった方が良いってこと?複雑な気持ちになりました。

 

 すると、別の考えが浮かびました。

 それって、地に属する人たちの話だよね。天に属する人は、永遠のいのちをいただくのだから、もう、死んだり生まれたりしないってことよね。

 

 今は、世の終わりの時代っていわれてるよね。ということは、この世は、もうまもなく終わりを迎えるから、新陳代謝の時代は終わるってことね。世は、目先のことを考えていろいろ心配しているけど、実は、本当に心配しなければいけないのは、自分のいのちの事よね。

 

 こうして、私は、今の時代は特殊であること、今までの延長ではないこと、また、特別な恵みの時であることに、思い至りました。

 

 子どもの数は、国の若さと国の存続のバロメーターです。国の盛衰を左右します。

 

 一億総活躍社会の実現に向けて国が動き始めたとき、私は不安に思いました。

 お母さんの在宅しない家に帰宅する子どもたちの将来を案じました。私の時代は、どこのお母さんも、エプロン姿で家にいました。「ただいまぁ」と帰ると、「おかえりぃ」と言って迎える大人がいました。

 

 三つ子の魂百まで、と考える世代の私は、幼い子どもを預けてまでお母さんが社会に出て働く社会が、本当に良い国をつくるのだろうか。将来の国づくりを担う世代の心が愛に満たされて心が安定していなければ、どうして安心できる平和な世の中を維持できるのか。

 

 親との時間、交流が少なく、目と目、顔と顔とを合わせて育っていない子の心には安息がなく、居場所を探してさまよう魂になってしまうのではないか。

 お金や稼ぎよりも、親に見守られているという安心感が子供の精神にどんなに必要なのか。この安心感がかたち作られないまま成長した大人たちが集まって、本当に日本は良い国になるのだろうか。

 

 「愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれ(愚かさ)を断ち切る。」(箴言22:15)

 

 「むちと叱責とは知恵を与える。

 わがままにさせた子は、母に恥を見させる。

 悪者がふえると、そむきの罪も増す。しかし正しい者は彼らの滅びを見る。(放任された子は人生を学ぶことなく、秩序を乱す自分自身の居場所を見つけることができない。親の権威に従うことを学んでいない子は、わがままで法を犯すことにも無頓着である。しかし、懲らしめを受けてしっかり育てられた子は、無秩序な好き勝手に生きる人たちの散々な結末をみる)

 あなたの子を懲らせ。そうすれば、彼(あなたの子)はあなたを安らかにし、あなたの心に喜びを与える。

(愛情をもって叱責し懲らしめを与えて育てた子は、社会に出た後で、見えていなかった親の愛情を知ることとなって、親に感謝し親を尊敬して心の安定した大人に成長し、親の喜びとなり、親に平安な余生を与える)」(箴言29:15-17)

 

 子どもをしつけるのは、家庭です。学校は教育する場であって、しつけの根は家庭にあるのです。

 

 一億総活躍社会は、家庭をむしばみ、子どもたちの心を奇形にしました。子どもが幼い時には気づかなかった根っこの腐れが、成長した頃に現われてきます。これは、社会の問題となって社会に歪みが生じます。人の歪みが社会の歪みの要因なのです。

 

 子どもは幼い頃に、きちんと善い事悪い事をしつけられるならば、人生の半分が成功しています。あとは、本人の生き様です。

 しかし、しつけられず見守られていない子は、心が子どものままで成長しません。心は成長不良です。後になって悩みの種となります。

 

 「わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。

 父が可愛がる子を叱るように、主は愛する者を叱る。」(箴言3:11,12)

 

 しかし、親に叱責されたり懲らしめられていない子は、社会人となって上司に注意を受けただけでへこんで仕事を辞めてしまうかもしれません。

 そのように打たれ弱い子が、神の道を歩むのは難しいのです。

 神は、愛する者を必ず懲らしめられるからです。懲らしめは愛の裏返しです。叱るのは、その人を成長させるためです。

 

 神は、新しいいのちを得させるために叱り、懲らしめられます。

 愛のない者には神はわかりません、とは、こういうことなのですね。

 

 「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(ヨハネ第一4:8)

 

 愛は神から出ています。親が子を叱り懲らしめるのは、愛から出ているのです。

 愛を学んでいない人が子どもを育てるならば、もっとひどい結果を生む可能性があります。愛は大切です。国の存続、民族の存続に関わります。

 

 神を神とせず、神を知ろうとしない人たちがつくる国は、問題だらけです。

 

 しかし、現在、神は、新陳代謝の世界からとこしえの世界を産もうとしておられます。

 

 古いものが衰え、新しいものが生まれる新陳代謝が繰り返される肉の世界は終わるのです。

 

 神は、ひとりひとりの人生に、その人自身の、一度きりの新陳代謝を用意されました。

 古い肉の生き方を、新しい御霊の生き方に入れ替え、その人の魂を若返らせて、新しいとこしえのいのちをお与えになるのです。

 

 新しいいのちをお与えになるのは、世の罪を取り除かれた神の子羊イエス・キリストであり、キリストがお与えになる真理の御霊です。

 

 「だれでもキリストのうちにあるなら(肉に死に、御霊によって死から甦られた神の子羊イエス・キリストは、第二のアダム、すなわち、永遠に生きる新しい人です。キリストのうちにあるとは、イエス・キリストを頭とする新しいひとりの人〈復活されたキリスト〉のからだとして生きる生き方をすることです)、その人は新しく造られた者です。古いもの(死と滅び)は過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(キリストの御霊による新しい創造によって、永遠のいのちを受け、永遠に生きる神の子どもとされます)

 これらのことはすべて、神から出ているのです。(生けるまことの神のみわざです。私たちの創造主は、死と死後に裁きを受けることが定まっている私たちに、神の御子イエス・キリストの御名により、御霊による新しい創造を施されます)」(コリント第二5:17,18)

 

 キリストの御霊によって新しく造り変えられた人は、キリストによって、神と和解し、神の子どもとされます。神の子どもには、永遠の死はなく滅びもありません。神の子どもには、永遠のいのちととこしえの安息が用意されています。

 

 新しいとこしえのいのちを求める人たちは、とこしえの国を目指す人たちです。

 新陳代謝を繰り返す魂は、日本国とともにやがて滅ぶことでしょう。

 しかし、新しいとこしえのいのちに至る人たちは、世界中から集められた神の子どもたちとともに、死から復活された神の御子キリストが治められる「とこしえの神の国」に入るのです。