「夫のある女は、夫が生きている間は、律法(婚姻の契約)によって夫に結ばれています。これは、紙面上の問題ではなくて、神の御前でそうなのです。
しかし、夫が死ねば、夫に関する律法(契約)から解放されます。婚姻は解消されて、独身となるのです。
ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、(契約に違反する不倫の罪を犯す)姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法(契約)から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。」(ローマ7:2,3)
聖書は、夫婦となる一対の男女を、次のように定義づけています。
「男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となる。」(創世記2:24)
イエスは、これについて、次にように言われました。
「創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。
それゆえ、人はその父と母を離れて、(すなわち、妻に結びついて)ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。
こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」(マルコ10:6-9)
結婚は、人が思っているよりも神聖なものなのです。また、婚姻は、神が結び合わせ、ふたりを一心同体にしたもの、という神の御前に覚えられる契約のようです。婚姻を結ぶというのは、神の御前での契約なのです。
しかし、契約が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけなのです。
パウロは言います。
「私の(主にある)兄弟たちよ。それと同じように、(神の子羊イエス・キリストと永遠のいのちの契約を結ぶ)あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。(神の御子イエス・キリストと契約を結ぶ人は、キリストと一心同体になる婚姻の契りを結ぶようなものです。キリストは十字架で死なれましたが、三日目に死から復活されました。すなわち、イエスは生きているのです。キリストと一心同体の人〈キリスト信者〉は、キリストが十字架で死なれた時、キリストとともに死にました。そして、死から甦り、復活したキリストと再び、結ばれたのです。イエスは、生きているので、契約は継続したままなのです。イエスは、旧約聖書〈律法、詩篇、預言者のみことば〉をご自分において完成されました。また、ご自身の肉体の死によって、律法の違反に伴う刑罰を無効にされたのです。それゆえ、古い律法〈ユダヤ民族の契約〉は完成しました。もはや、割礼もモーセの律法も、神の民の証ではなくなりました。ユダヤ人は、律法から解放されたのです)
それは、あなたがた(ユダヤ人)が他の人、すなわち死者の中から甦った方(神の御子イエス・キリスト)と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。(神の国のために実を結ぶ神の子どもとされるためです)
私たち(律法の民ユダヤ民族)が肉にあったときは(神の御子イエス・キリストを知らなかったときは)、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。(律法に違反すれば、死に定められていたからです)
しかし、(神が遣わされた救い主、神の御子キリスト・イエスが来られた)今は、私たちは、自分を捕えていた律法に対して死んだので、それ(私たちを死に定める律法)から解放され、その結果、古い文字(律法)にはよらず、新しい御霊(死んで甦られた神の子羊イエス、すなわち、神からキリストの権威をお受けになられた神の御子イエス・キリストにより授けられた新しい御霊【真理の御霊】)によって(神に)仕えているのです。」(ローマ7:4-6)
キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた人はみな、キリストの死にあずかるバプテスマを受けたのです。
私たちは、古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、知っています。肉に死んでしまった者は、罪から放免されているのです。
「(キリストを信じる)私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマ(肉に死んで、死の呪いから解放されるバプテスマ)によって、キリストとともに葬られたのです。
それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から甦られたように、(キリストにつく)私たちも、いのちにあって新しい歩み(肉に死んで、御霊とともに生きる歩み)をするためです。
もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。」(ローマ5:4,5)
罪から解放された私たちは神の奴隷となり、神のために実を結ぶ者とされたのです。
キリストがお与えになる御霊は、私たちのうちにお住まいになって、イエスのことばを思い起こさせ、真理を教えて、私たちをキリストにふさわしい者に造り変えていかれます。
御霊は、私たちを、肉の人から新しい御霊の人、神の子どもに造り変えていかれます。天の御国にふさわしい「新しい人」として、新しい創造をされるのです。
新しい人は、古い文字によってではなく、新しい御霊によって神に仕えます。
その行き着く所は永遠のいのちです。