「主は山からモーセを呼んで仰せられた。
『あなた(モーセ)は、このように、ヤコブの家(ユダヤ民族)に言い、イスラエルの人々に告げよ。
あなたがた(イスラエル、すなわち、奴隷の家エジプトから連れ出されたユダヤ民族と、ユダヤ人といっしょに出て来た在留異国人)は、わたし(主)がエジプトにしたこと、また、あなたがたをわしの翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。
今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約(十戒)を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝(全能の神の宝の民)となる。全世界はわたしのものであるから。
あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民(神の民)となる。
これが、イスラエル人にあなた(モーセ)の語るべきことばである。』
モーセは行って、民の長老たちを呼び寄せ、主が命じられたこれらのことばをみな、彼らの前に述べた。
すると民はみな口をそろえて答えた。
『私たちは主が仰せられたことを、みな行ないます。』
それでモーセは民のことばを主に持って帰った。」(出エジプト19:3-8)
イスラエル人は、神の大いなるみわざを見ました。
真夜中に、エジプトの王やその家臣および全エジプトは起き上がって、激しく泣き叫びました。神の御使いがエジプトの地を巡って、エジプトの地のすべての初子を打ったので、死人のない家がなかったからです。
しかし、神に聞き従って、家のかもいと二本の門柱に羊の血を塗ったイスラエル人の家は、過ぎ越されました。
神は、神の民と、神の民を苦しめたエジプトとを、羊の血のしるしによって区別されました。
イスラエル人は、彼らのために紅海の水が右と左で壁となってできた、海の真中の乾いた地を、進んで渡りました。
イスラエル人を追いかけて来たエジプトの陣営(エジプトの王の馬、戦車、騎兵)も、イスラエル人のあとから海の中にはいって行きました。しかし、主は、戦車の車輪を外して、進むのを困難にされました。
エジプト人は「イスラエル人の前から逃げよう。主がイスラエル人のために、エジプトと戦っておられるのだから。」と言って、引き返そうとしましたが、そのとき、海はもとの状態に戻りました。主は、エジプト人を海の真中に投げ込まれたので、あとを追って海にはいったエジプトの全軍勢に、残された者はひとりもいませんでした。
こうして、主は、その日イスラエルをエジプトの手から救われました。
イスラエルは、海辺に死んでいるエジプト人を見ました。
イスラエルは、主がエジプトに行なわれた大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じました。(出エジプト14:22--31)
主はイスラエルに仰せられました。
「わたし(主)はあなたがた(イスラエル)の間にわたしの住まいを建てよう。わたしはあなたがたを忌み嫌わない。
わたし(天の神)はあなたがたの間を歩もう。わたし(天地万物の創造主、全能の神)はあなたがたの神(イスラエルの神)となり、あなたがた(イスラエル)はわたしの民(神の民)となる。
わたしはあなたがたを、奴隷の身分から救い出すために(奴隷の家)エジプトの地から連れ出したあなたがたの神(イスラエルを救う神)、主である。わたし(イスラエルの神)はあなたがた(神の民)の(奴隷の)くびきの横木を打ち砕き、あなたがたを(神の民として)まっすぐに立たせて歩かせた。」(レビ記26:11-13)
申命記28章では、イスラエルが神に聞き従い、主のすべての命令を守り行なうなら、神は、イスラエルを祝福する事を誓っておられます。また、もし、イスラエルが、イスラエルの神、主の御声に聞き従わず、主のすべての命令と掟とを守り行なわないなら、神は、イスラエルに呪いを臨ませて、イスラエルを呪う事を誓っておられます。
神は、イスラエルの前に、いのちと幸いの道と、死と災いの道とを置かれました。
イスラエルは、外国の神々を拝み、イスラエルの神を怒らせました。神は、イスラエルの前にわざわいの道を開かれました。
ひとつのイスラエル王国を南ユダ王国と北イスラエル王国とに分けられました。十二部族のユダヤ民族を、二部族のユダと、十部族のイスラエルとに分けられました。
背信の女イスラエル(十部族)をアッシリアの捕囚とし、約束の地から追放されました。そして、十部族は離散しました。
北イスラエル王国がアッシリアに引いて行かれたのを見ていながら、南ユダは神を恐れて悔い改めることなく、同じ罪を犯しました。
「背信の女イスラエル(十部族)は、裏切る女ユダ(二部族)よりも正しかった。」(エレミヤ3:11)
神の民イスラエルは、イスラエルの神を裏切る者となりました。
南ユダ王国もまた、バビロンに捕囚されました。
イスラエル十二部族の王であるユダ族のダビデの子孫がいる王家の二部族(ダビデ王のユダ族と、サウル王のベニヤミン族)は、七十年の時を経て、バビロンから帰還して、神が遣わされたモーセのような救いを導くもうひとりの預言者キリストを生みました。
ローマ帝国の属州ユダの地、ベツレヘムで、ダビデの子孫ヨセフの子として生まれ、ダビデの家系に住民登録されたイエス・キリストです。
しかし、南ユダの人々は、キリストを信じませんでした。不信仰で不従順なユダヤ人を怒った神は、彼らを諸国に散らされました。
神は、ユダヤ人たちのそむきと不服従を見抜いておられました。そして、イスラエルの前に、祝福と呪いを置かれた主は、モーセを通して仰せられました。
「私(モーセ)があなた(イスラエル)の前に置いた祝福と呪い、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして、(神の)御声に聞き従うなら、あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたを憐れみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。」(申命記30:1-3)
「あなたの神(ユダヤ民族の神)、主は、あなたの先祖たちが所有していた地にあなたを連れて行き、あなた(ユダヤ民族)はそれを所有する。」(申命記30:5)
神のみことばは成就しました。神は生きておられます。離散してから二千年近く、諸外国で迫害され苦しめられたユダヤ人たちは、ダビデ王が王であったイスラエル王国の地に、ユダヤ人の国を再建し、帰還しています。
ユダヤ人は、神の祭司の国民として召され、祭司の手で、神の子羊イエスを屠り、世の罪を取り除く罪の贖いの血を流しました。
しかし、神の国とされたわけではありませんでした。神は、ユダヤ人たちの不従順を見通しておられたのです。
荒野でモーセに逆らい、神を信じない不信仰なユダヤ人たちを怒って、神は、モーセに仰せられました。彼らは、モーセが山から下りて来るのを待ちきれずに、金の子牛を造って拝んだのです。
「わたしは(神とモーセに逆らう)この民を見た。これは、実にうなじのこわい民だ。
今はただ、わたし(主)のするままにせよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がって、わたしが(エジプトから連れ上った)彼らを断ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなた(モーセ)を大いなる国民としよう。」(出エジプト32:9,10)
モーセの嘆願によって、神は思いとどまられました。しかし、神は、十二部族のユダヤ人全部を滅ぼして、モーセから、新しい神の民を造ろうとされたのです。
主の御心にかない、モーセを名指しで選びだされた主は、神に忠実なモーセから、神の民を造ることができることを仰せられました。
バプテスマのヨハネは、バプテスマを受けようとして出て来た群衆に言いました。
「まむしのすえたち。(神の御旨に逆らう悪魔の子ら)誰が必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。
『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。」(ルカ3:7,8)
神は、イスラエル王国が南ユダと北イスラエルに分裂する前から、イスラエルの前に呪いの道を御覧になっておられました。
神は、神に忠実なわずかなユダヤ人たちを、神の御霊によって導き、東の島国に移して、神の国を造られたように思います。
神は、神の祭司の国民イスラエルを造られましたが、神の国を造るには至っておられませんでした。王とユダヤ人たちは、神の預言者を迫害し殺していたのです。
神は、アブラハムの信仰、すなわち、霊とまことによって目に見えない神を崇める信仰を、東の島国の縄文人にご覧になっておられたように思います。自然の中に大いなる存在を認め、ほかの被造物と共生しながら穏やかに暮らす縄文人のところに、神の選ばれたわずかなユダヤ人を送り、大海に守られた日本列島を神の国としてお選びになったのではないかと思います。
日本列島に入ったユダヤ人の数は少ないですが、祭司の国民としての油が注がれたユダヤ人を見て、縄文人は、神の民を敬い、彼らを受け入れたように思います。彼らの執り行う祭儀は神聖であり、霊の開かれている縄文人は、彼らに聖なる方の御臨在を感じ取ったのだと思います。
ユダヤ人は、日本列島において、神の祭儀を守り、全地にあって、神に仕える神の祭司「天皇」の国としたと思われます。
日本国は、神の国ですが、神の国民ではありません。神の民のユダヤ人が造った神の国です。
神は、神の国を、神の祭司の国民ユダヤ人のうちの、わずかな偽りのない本当のイスラエル人、すなわち、真実な信仰のユダヤ人たちによって、一つの国に建て上げていかれたのではないでしょうか。
神の祭司の国民は、世界に離散し、真実な心で神に仕える信仰のユダヤ人たちは、日本に集められたのでしょう。
神は、この日本列島で神の祭儀を執り行うことを途絶えさせることはありませんでした。
そして、終わりの時代に立つ、ユダヤ人を救いに導く「イスラエルのメシア」と「アロンのメシア」を、「神の国」と呼ばれる日本国の文化と言語によって、また、精神性を重んじ自然と調和する「大和魂」によってお育てになっておられるのでしょう。