ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

平泉の不信仰の壁が解かれるように祈りましょう

 

 7月18日夜、夜空に広がる白い雲によって、神の霊が伊勢から南朝天皇の子孫(終わりに立つ、世界を救う「イスラエルのメシア」)を呼び覚ますために、神田神宮に渡られたのを見た気がしました。

 

 東京の皇居の天皇は北朝の天皇であり、終わりの日のために隠された南朝の天皇の存在があることを知った時、平家が無念を抱えて没落したことに辿り着きました。

 

 徳島の剣山の頂上近くに剣山本宮剣神社があります。御祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)と安徳天皇(あんとくてんのう)です。

 源氏に敗れ衰退する平家の挽回を祈願して、南朝の安徳天皇の御剣を天に奉じてその剣が治められている、と言われています。

 

 剣山の名前の由来は、鶴、亀合わせて、鶴亀山(つるきさん)という説もあるようで、太郎笈山頂付近には、鶴石、亀石が存在しています。

 

 「かごめかごめ」の歌の歌詞に、鶴と亀がすべった、とあります。

 鶴は南朝天皇、亀は北朝天皇を表わし、主権が入れ替わる事を謳っているようです。

 剣山は、終わりの時代に、素戔嗚尊に守られた南朝の天皇の子孫が立つことを暗示しているようです。

 

 ちなみに、明治神宮の境内、本殿北側に芝生があり、亀石があります。

 亀石は、北朝の天皇のおしるしのように思います。北朝の天皇は、日本国のために、日本列島が神の国の機能を保つために執り成して来られた大祭司の役割をお持ちだと思います。

 

 神は、南朝の天皇の子孫に、世界の御救いの為に立つ「イスラエルのメシア」を起こされるようです。

 世界の救いと言うと、世界平和を思い浮かべますが、神の御計画は、滅びの世にいる魂を目覚めさせて、神の国に入らせることです。国々の救いではなく、国々に埋もれている、神を恐れる真実な魂に、永遠のいのちを得させることだと思われます。

 

 これは、霊的なことです。目に見えて実在する国のことではありません。

 「イスラエルのメシア」が立つから日本人が救われるわけではありません。「イスラエルのメシア」が語る、いのちの根源である神に立ち返る真理のことばを聞いて、聞き従う者たちが御救いを受けるのです。それは、異邦人の時が満ちた後のことかも知れません。

 

 今は、霊が開かれて、その時、聞く耳を持つ魂に備えさせる時でしょう。福音の種を蒔いても、土壌が整っていなければ、枯れてしまいます。蒔かれた福音の種が、根を生やし芽を出すための良い土壌に整えられる時です。

 

 神によって隠された南朝の天皇の子孫がいることを知った私は、安徳天皇や平家の祀られている神社で、「あなたがたの子孫の中に、世界を救う人が立たれます。日本の天皇の座を失った無念は、あなたがたの栄えと誉れにかわります。どうか、心安らかにしてください。そして、神が立たせられる『イスラエルのメシア』を総力あげて、お守りください。」と祈りました。

 楠木正成の御霊には、「あなたの主君の子が神の国のために、世界の御救いの為に立てられます。日本国のためではなく、世界のための働きです。どうか、あなたの子孫の御霊が総力をあげて、このひとりの子孫『イスラエルのメシア』を守り、その働きを全うできるように守護してください。」と祈りました。

 

 7月28日の夜空に白い雲(神の霊)が出雲の方に渡られるのを見ました。

 富士山に鎮座される国常立神が伊勢と出雲に、神の真理の光を放たれて、いよいよ隠されていた南朝の天皇の子孫「イスラエルのメシア」を目覚めさせる時が近づいたようです。

 

 富士山、伊勢、出雲の力が結びつくと、その中にある比叡山が目覚めにはいります。

 

 出雲に渡った神の霊は、鹿児島県の霧島神宮に渡られたようです。霧島神宮の御祭神は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)です。「イスラエルのメシア」は、ニニギノミコトの子孫だと思います。

 瓊瓊杵尊の妻である木花開姫尊(コノハナサクヤヒメノミコト)も、初代天皇神武天皇である神倭磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト)も祀られています。神倭磐余彦尊の父と母も祀られています。

 

 木花開姫尊は、富士山浅間神社の神です。

 伊勢と出雲と瓊瓊杵尊が降り立った高千穂峯とが繋がると、その中にある高野山が目覚めにはいります。

 

 日本列島上空の霊界は、南から神の霊におおわれています。

 しかし、長野、埼玉、茨城辺りで止まっています。それより北は、神の霊が覆われていないのを見ました。

 

 北の方には、神の霊を妨げるものがあるようです。

 しばらくすると、白い雲は少しずつ北へと進み始めました。本当にわずかずつです。神の霊は進むのに難航しています。

 

 宮城、岩手辺りまで来てうっすらと白い雲がかかりそうになると、その辺りでグルンと渦を巻くようにして白い雲を払い除けます。その勢いで、白い雲は日本海側から北海道へと広がって行きます。

 

 原因は何だろうかと考えました。

 その中心には、平泉がありました。

 平泉には、中尊寺があります。中尊寺には、極楽浄土を象徴する、金で覆われた金色堂があります。

 

 仏教は、阿弥陀如来を救いとし、神の存在を知りません。神の存在を認めない頑なさが、神の霊を退けているようです。

 

 比叡山と、高野山は、多くの人たちの祈りとともに、少しずつ、真理に対して心が開かれる用意がされていますが、西日本とは異なり、東日本は神に対して霊がかたいようです。

 

 西日本は神道の影響を多く受けていますが、東日本は仏教の影響が濃いようです。また、縄文人の子孫を北へ追いやった先祖たちの負い目もあります。

 

 西は大和民族の魂が開かれつつありますが、東は遅れているようです。

 平泉は、仏教の極楽浄土の象徴です。金色堂は、神道の草木も喜ぶ「弥勒の世」、キリスト教のエデンの園を回復する「千年王国」のひな型を暗示しているようです。

 

 日本列島の中には、神が導かれる魂の国の象徴となるものが置かれています。

 

 これから現われる精神世界(魂の世界)の象徴が置かれた北の地域には、古いしきたりや、封印の力が色濃く残っているようです。

 空海は、救いを仏教の阿弥陀如来に向けさせて、人の意識から「神」概念を封印したのでしょうか。

 

 世界を救うメシアと預言されている「イスラエルのメシア」は、卍のマークの人です。宗教ではなく、仏法に生きている人です。それゆえ、神に召されたその人が神に辿り着くことがないよう、また、真理を悟ることがないようにと妨げる力は、仏教の中に根強く働いているのでしょう。

 しかし、この封印が解かれたならば、「イスラエルのメシア」の目覚めの扉を開くことになるでしょう。平泉の地は、妨げる霊たちの、最後の砦です。

 

 人の思いを神に向かわせない仏教の影響が強い、古い慣習の地で、生けるまことの神を求め、神に出会うことは、困難が伴うことでしょう。しかし、これらの地域にも、神に立ち返り、神と和解したキリストのしもべたちがいます。

 

 東北のクリスチャンたちに神の武装が施されて、この地域を縛って来た古き霊が打ち砕かれ神の霊が働かれるための聖霊の道が設けられるように祈りましょう。神に敵対するものの要塞を祈りによって、砕きましょう。魂の救いを妨げていた力に勝利を取りましょう。

 平泉一帯を罪の贖いの神の子羊の血で覆いましょう。そして、封印が解かれて、人間の教えの縄目から解放されるように祈りましょう。

 

 呪うのではなく、平泉を祝福しましょう。お寺やお坊さんたちの上にもキリストの血が注がれ啓示の光が注がれ、霊の目が開かれるように祈りましょう。

 また、神の栄光を現わす地とされるように、平泉の地に、イエス・キリストの御名による祝福のことばを積み上げましょう。

 神不在の極楽浄土ではなく、天地万物の創造主、おひとりの神がお建てになる神の国を待ち望む新しい希望が得られますように。平泉の地に、神の愛といのちが臨まれますように。

 

 東北のクリスチャンたちは、長い間、岩地に水を注ぐようなつらい働きをして来られたのではないのかと思います。

 しかし、神の霊がこれらの地域を覆うならば、収穫の喜びを味わうことでしょう。

 

 「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」(詩篇126:5,6)

 

 霧が晴れるように、それらの地域の霊は軽くなり、神の御言葉を聞く備えができることでしょう。

 

 平泉に恵みの雨が注がれますように。封印が解かれて、地域を縛って来た霊的な縄目から、魂が解放されますように。

 

 東日本が白い雲に覆われるならば、日本列島は、神の聖霊が働きやすい環境となることでしょう。

 

 生けるまことの神に出会う魂が起こることでしょう。

 キリスト教の囲いの外にいる人々にも、神は、生かす御霊を注いで、いのちの希望を得させる真理を、悟らせてくださることでしょう。